次週の説教(主日礼拝)

岐阜教会  9月20日 午前10時30分

聖 書 フィリピの信徒への手紙第1章27-30節

説 教 『しっかりと立つ信仰』 三輪恵愛牧師

 


聖書は愛、慰め、希望のことばです

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「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」

      ―申命記第6章5節、レビ記第19章18節―

 キリスト教とは、キリストのことである、と言われます。キリスト教は何かの宗教的な雰囲気でも、理念でもありません。イエス・キリストというお方のご人格と、この方が為さったことに現れる神さまの愛そのものです。このキリストというお方を通して、神さまと出会い、愛されていることに気づかされます。そして、教会の仲間と一緒に神さまを心から愛して、礼拝をおささげするようになります。そのうちに、神さまと人を深く愛し、また愛される生き方に新しくされていくのです。

 キリストは、2千年の昔のユダヤ(イスラエル)に30年ほどの生涯を送った人物です。当時のユダヤの人々と何ら変わるところのない一人の人でありました。隣りに生きる人の苦しみ悲しみに、痛みを覚えるほどに寄り添いました。だから、この人の近くにいる人は誰でも、言葉に表せないほど深く豊かな慰めを味わいました。人の苦しみに関わりそれを負うことに、その極みまで誠実である生き方、それはやがて十字架での死に至ります。

 隣人の苦しみのどん底まで共に苦しみ、死をも共にしてくださる。それは、人でありながら神でなければ示すことのできない、朽ちることのない永遠の愛です。人でなければ苦しむことができません。しかし同時に神でなければ他人の苦しみのどん底を共にすることは出来ないからです。人は誰でも苦しむ時は孤独に陥り、死ぬ時はたった一人です。キリストは私たちの仲間としての人でありつつ、同時に私たちが礼拝する神その方でもあるのです。その方が、永遠にともに生きていてくださる。この神さまの約束に頼りながら、「今日も永遠の命に生かされている!」と信じることが、キリスト教です。

 どのような時も、どのような場所にもキリストが共にいてくださる人生が、いかに豊かなものか、是非知って頂きたいと思います。あなたが自分でも自分を見限りたくなるようなどん底にいても、共にいて下さるキリストを知ると、あなたはもう自分に恰好を付ける必要はなくなります。自分の良い所取りをし、惨めな自分に素知らぬ顔をする無理をしなくて済むからです。あるがままの自分を受け容れることほどの開放感は他にありません。自分をあるがままに受け容れることが出来ると、自分とタイプの違う他人ばかりでなく、どうにも折り合いの付かなかった他人にも、苛立たずに寛容になれるはずです。人と人との交わりに、ストレスを負うことの多い現代です。すべてを受け入れてくださる神さまを信じ、その縛りから解放される生き方へ、一歩を踏み出してみませんか。イエス・キリストは、今日も、すべての人を、とくに疲れていると感じている人、重荷を負っていると悩んでいる人を招いておられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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