月報 2013年1月号より
厭戦と厭核について 牧師 多田 滉 | |
一昨年三月の地震と津波によって生じた原子力発電所の事故による、計り知れない放射線被害は、事故収束と共に終わるわけでなく、遠い将来にまで底知れない悪影響を及ぼすことが、明らかになりました。全国的に人々の間に、原子力に頼るエネルギー政策への疑問が渦巻くように拡がっています。「原子力の平和利用」という言葉そのものが、大きな欺瞞だったとさえ思われます。この「利用」を続ければ、そこから大量の放射線を出す廃棄物が貯まって、何処かに閉じ込める必要が増え、その場所を決めることさえ覚束ないとなれば、平和どころではないでしょう。仮に見つかったとしても、変動し続けている地殻の上に乗っている人間の環境世界に、何時閉じ込めた筈の放射線が吹き出るか、そのことを止める保証は何処にもないからです。 そういう現実が、この方面の専門家ではない一般大衆の知るところとなった、ということは大変重要なことです。専門家に委ねられ切った事柄が、問題の本質を見えなくし、大きな破壊の危険を増大する、と言うことが露見されたからです。情報開示によって、素人の判断が加わることが、何事にしても大事だ、と言うことが、どの方面にも大切で、この学びは是非とも今後の教訓として残さねばなりません。 それと関連することですが、今回の悲劇的な事故で一挙に人々の間に「厭核」の空気が広がった割には、先の国政選挙でそれが争点にならなかったことです。原発廃棄を唱えた党もそれほどの集票には至りませんでした。 それはあの大戦後の「厭戦」気分と、その後の国の歩みにも共通する現象です。世界を相手にした無謀な戦いが、筆舌に尽くせない悲劇を生み、人々の圧倒的な「厭戦」気分の中で新しい「日本国憲法」が生まれました。筆者はその時、まだ少年に過ぎませんでしたが、人々の間に拡がった感激的な喜びを、今でもはっきり覚えています。それは新しい国造りを支える国中の人々の新しい誇りだった、と言っても良いでしょう。憲法は国の基本的な骨組みであって、戦後民主主義を人々の間に、多くの不充分さを伴うものの、じっくりと浸透させてきているものです。 しかし同時に初めからこの憲法を忌避する人々があり、そういう人たちの手に国民は国の舵取りを任せて来たと言う矛盾があります。「厭戦」も「厭核」も感情です。感情は知性よりも人の人格の深みから出ている反面、又移ろい易いものです。感情は個人的でありどんなに集まっても、示威的な力はあっても、新しい建設的構築には繋がり難いのではないか。「厭戦」も「厭核」も、何らかの新たな取り組みを生むためには「言葉化」が必要です。「厭戦」の中で新憲法という「言葉」を生みましたが、それがさらに人々の多彩な「言葉」を生み出すとき、人々の考え方や身の処し方に変化を起し、具体的な社会形成に展開する筈です。「言葉」は事柄の共有化を生み、未来を開きます。今「厭核」の空気の中で、原発廃棄が叫ばれます。それを人々の間で「言葉」化すること、それは今回の事故の経験を今後の教訓として生かし得るか否かが問われる課題です。 | |