月報 2013年9月号より
「主は月を作って季節を定められた」 (詩篇104ー19)
長老 宮川典夫
「光あれ」と、威厳に満ちた言葉によって神が創造された天地。
「天の大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。」(創世記1章)
「夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。」(詩136編)
天文学に関わる暦は、中世以前は復活祭の日をどう決めるかに終止したのですが、西暦325年、皇帝コンスタンティヌス一世はニカイヤの教会会議を受け、「復活祭は、春分のあとにくる最初の満月後の最初の日曜日」と決めました。このことは復活祭は3月22日から4月25日の間ということになります。
地球は365日5時間48分46秒かけて太陽周りを一周します。現在のカレンダーは太陽暦で1年を365日としていますから、毎年の残り5時間48分46秒を4年分積み重ねて1日分として閏年を設けているわけです。閏年を設ける原則を記せば、「西暦で4で割り切れる年は閏年。ただし100で割り切れても400で割り切れない年は平年とする。」となります。
一方、月の満ち欠けはどうでしょうか。月は新月(朔)、3ヶ月と膨らみ満月へ。そして下から欠けて行き、姿を消します。
「あなたたちの喜び祝う祝日、毎月一日に・・」(民数記10)は消えた月が顔を出した喜びが読み取れます。(但し新月(朔)は太陽の向こう側から昇るので地上からは見られません。)「角笛を吹き鳴らせ 新月、満月 わたしたちの祭の日に」(詩81編)とも記されていますが、新月を月の1(朔)日とするのが太陰暦です。
一方 神は、「また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない」(申命記4章)と命じ「罪人を断つために 天のもろもろの星とその星座は光を放たず 太陽は昇っても闇に閉ざされ月も光を輝かさない」(イザヤ13章)と言っておられますが、当時は太陽や月を崇める偶像礼拝がはびこっていたことが分かります。
さて、月の運行では 真の朔望月は約29.53日ですから、陰暦(旧暦)では29日と30日の月を交互に置くことになります。すると1年は約354日で、太陽暦とは約11日短くなります。太陽暦に近づけるためには3年ごとに1カ月増やす、すなわち1年を13ヶ月として調整する必要があります。
なお、聖書の記事で1年を12カ月とした記録は歴代誌上27章にありますが、暦の内容の手掛かりはつかめません。
現在の、太陽暦(グレゴリオ暦)による西暦を我が国で採用したのは、「明治5年12月3日を明治6年1月1日とする。」太政官布告からですが、この折り、初代神武天皇即位の年を皇紀元年としました。その後、西暦1940年が丁度皇紀2600年にあたるということで、この年、基督教会も奉祝に参加したり信徒大会が開かれました。逆算すれば皇紀元年は西暦前660年となり、この時代はユダ王国では第13代マナセ王(列王記下21)の時代にあたります。
さて新しいエルサレム。そこは「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明りだからである。」(黙示録21章)