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月報2015年8月より

       言葉と真実
                            牧師 多田 滉

   使徒パウロは、コリント教会訪問計画が変更になった事情を知らせながら、それが相手からは「嘘」をついたと非難される可能性を心配しています。そして、神の子イエスの「然り」が同時に「否」とはならない恵みの一貫性の故に、彼の行動と言葉にも、嘘ではなく真実が流れていることを分かって欲しい、と呼びかけます(コリント二、1・15以下)。明日のことは私たちの手の中にないのですから、約束が事情によって変更せざるをえないことも生じます。神の真実に依り頼むことがなければ、約束を伴う言葉の生活は成りたちません。

 信仰生活でさえそうであるなら、この世の実際生活、殊に「嘘も方便」ということが、ある程度通用する政治の言論世界が、深い所で、常に「隠れた処におられる神の真実」に支えられなければ、本当は成り立たない筈、ということになります。私たちの国の政治権力の世界は、古来宗教世界の独自性や独立の必須なことに目を閉ざし、さらにはそれを圧迫するか、ひどい場合は宗教を政治のために利用さえする(国家神道)ことが続いてきました。その本質は、残念なことに今も変わっていません。それが却って政治的な貧困を生んで来たことに気づかねばなりません。例えば、民衆に漠然と流れる根強い政治不振や、選挙の度に繰り返される投票率の低迷など、更に信仰者の多くが政治に意図的に無関心であることを「政教分離」の実践と誤解することなど、がその結果の現象です。

 平和を考える八月が又やって来ました。戦争忌避の思いが、最も強く噴出する季節でもあります。戦争は政治的な出来事です。戦争ではなく平和を、と叫ぶ人々が政治には無関心であることがあります。殊に篤信のキリスト者にさえ多く見られる傾向です。
 「戦争とは嘘の一大体系である」(カルル・クラウス)と言ったドイツ人がいるそうです。戦争に踏み切る政治家は、決定的に国民に「嘘」をつかなければ着手出来ない。私たちの国が第二次世界大戦に突き進み、それが悲惨な敗戦という結果を生んだとき、戦争に駆り立てられた国民の多くが「騙(だま)されていた」という感慨を持ったという、そういう事実からも良く了解されます。

 それなら、「騙されまい」というのが歴史から学ぶ知恵、ということになります。今や、戦争をする国への準備が、政治世界で進行中です。平和憲法の言葉を残して、戦争を可能にするために、「秘密」から始まって「嘘」が横行しています。パウロ流に言えば、「然り」が同時に「否」となるような事態が公然とまかり通ります。原発の平和利用という実は「嘘」が、安全神話の崩壊と共に、閉じ込めていたはずの放射能と一緒に吹き出てきて暴露してしまったのと全く同時進行しています。

 しかし、神は生きて歴史に働き給います。「隠れた処におられる神の真実」は、日本国憲法にも命を吹き込んでおられます。多くの日本人は、憲法をフランス革命の人道主義(ヒユーマニズム)からの流れと考えます。少数の人々は、それを自虐的な押しつけと呼びます。いずれにせよ、それでは、憲法に流れる一人の人格を尊ぶ中心理念は軽視されるか無視されます。日本国憲法の中心理念としての基本的人権の思想は、むしろピューリタン信仰の戦いの成果という源流から発して、遙かにこの憲法に流れ込んでいる世界的潮流と見るべきです。そして今やそれはキリスト教に興味を持ちながら敬遠する多くのこの国の人々の中にも、徐(おもむろ)に、強い平和指向の国民意識となって大きく広くうねり、溢れ出しています。

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