12月25日降誕祭説教 

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聖 書 ルカによる福音書2章1~21節
説 教 「恐れを除く喜び」

 「‥‥、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。‥‥』」(9、10節)

 降誕物語は、神の愛が始まる物語です。勿論、愛は世界が造られて以来、常にあり続けましたが、この時に改めてはっきりと示されることになりました。そして、恐れに満ちたこの世界が、愛によって喜びの世界に変えられます。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」(ヨハネの手紙一、4章18節)と言われる通りです。いまだに多くの恐怖体験が繰り返されて一向に止まない世界です。私たちはこの一年も、そういう現実を実感させられて来ました。従って今更のように「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」に、神の愛が恐怖を閉め出す「しるし」を読み取らねばなりません。生きることを願って、しかし死なねばならないこの矛盾に満ちた世界です。神はその生きることへの願いを確かにする為に、命の君を死ぬ為に世に遣わされました。罪人の死を代わって死ぬことによって、真に生きる永遠の命を私たちに与え給います。確かに此処では、喜びは恐れを締め出しています。命の光は死の闇を吹き消して輝きます。

 「恐れは罰を伴う」とも言われます。恐れが拭えないでいると、不信や疑惑が深まり、暴力が止めどなく溢れ出す逆の「しるし」も警告されています。遠く東から御子を訪ねてやってきた占星術の学者たちから知った喜びの知らせに「不安」を募らせ、彼らをだまして御子の抹殺を企てたヘロデ王は、逆に「占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。」という残虐が猛威を奮います。マタイはこの事態を預言者エレミヤの預言の実現したことと受け止めます。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」と悲しみを歌います(マタイによる福音書2章3、8、16~18節)。正に「恐れは罰を伴」って、悲劇の連鎖を生みます。実に恐れに支配された世界には悲惨が繰りかえされています。しかも、こうした事態にも「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。」(詩編42篇6節)、と愛の訪れを予感して歌う詩人の思いに、神は「御子をお遣わしになり‥‥ここに愛があ」る(ヨハネの手紙一、4章10節)と断言し、滅び行く私たちの世界に再度救いの決定的な土台を据えて下さいました。

 この「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」の存在が私たちを救います。この御子が「その腕で力を振るい、‥‥権力ある者をその座から引き降ろし、‥‥飢えた人を良い物で満た」される(ルカによる福音書1章51~53節)のは、その御業による以前に、「まぶねの中に、産声をあげ」るその存在に寄ってです。宿屋さえもこの御子の生まれる場として与えずに、初めから拒絶した世界です。初めにヘロデ王によって抹殺が企てられた世は、その枡目を満たすかのように、十字架をもって御子を押しのけましたが、それによってベツレヘムの馬小屋に点じられた愛の喜びの火は、くすぶり消えるどころか世の人の罪を取り去るほどに燃え上がり続けたのでした。神がこの世に存在をお与えになった御子は、あらゆる逆境に耐えて存続を続けます。使徒パウロはこの愛は「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。‥‥」(コリントの信徒への手紙一、13章7、8節)と言い現しました。産まれたばかりの御子は、弱さの極みにありながら権力者を圧倒し、悲しみの底に立ち上がれずにいる者を立ち上がらせる喜びを与えます。神がこの御子に存在を与えたからだ、と言えます。確かに「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」(ヨハネによる福音書1章5節)のです。従って私たちは、何処にあっても、どのように嘆き悲しむ状態にいても、御子が共に居てくださる処では、喜びが恐れを取り除きます。その喜びが真実であるのは、それが拡がり続けるからです。降誕節の喜びは、今や全世界に広がり続けます。その喜びに、御子の存在が忘れられないことを、強く願って喜び続けましょう。

12月18日説教

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聖 書 サムエル記上 4章12~22節
説 教 「弱くなり給う神」

 「知らせをもたらした者は答えた。『イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ去り、兵士の多くが戦死しました。あなたの二人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。』」(17節)

 「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、と、シオンに向かって呼ばわる。」(イザヤ書52章7節)。このように歌うことを知っているのが神の民の特性です。つまり、良い知らせ(福音)を待つ神の民に、悪い知らせが来、全てが真逆に進行する時があります。祭司エリは幼子サムエルが初めて神の言葉を聞いた時以来、それを予見していたでしょう。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く」。(サムエル記上3章11~13節)。しかし、いざとなれば衝撃の激しさは免れません。イスラエルはペリシテに破れ、「神の箱」さえ奪われました。この戦いにエリの二人の息子であるホフニとピネハスは無惨な戦死を遂げ、敗戦の知らせにエリはショック死します。こうして一時代が終わり、イスラエル史はサムエルが指導者として立ち、ダビデの登場を待つことになります。

 しかしこの時のイスラエルは、そういう時代が開く未来を望むことは未だ出来ません。祭司の「エリは九十八歳で目は動かず、何も見ることができなかった。」(15節)、という記述に象徴されるかのようです。「栄光は失われた。」神はイスラエルから去ってしまわれた。民にとってこの敗戦は大きな打撃であり、取り返しがつかない程の損失と受け止めざるを得ないような事態でした。「なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる」(イザヤ書6章13節a)、と言うほど敗北は徹底的に思われたに違いありません。「神の民」から神が去ればそれは事柄の矛盾、民に残されるのは悲嘆だけであったのです。この時の彼らは、後にキリストの使徒としてのパウロが、主イエスの死人からの復活がなければ、信仰者は「すべての人の中で最も惨めな者」だ(コリントの信徒への手紙一、15章19節)と断言したように、まことに情けない状態を露(あら)わにせざるを得なかったでしょう。或いは又別の表現で言えば、主イエスの「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」(マタイによる福音書5章13節)という教えに警告されているように、正に「味を失った塩」のようなものとなる以外になかった筈です。聖書は、神の民がそういう状態を甘んじて受け止めざるを得なくされる、という現実をむしろしばしば記述しているのです。

 確かに、イスラエルはその信仰の歴史において、時にそのような事態に直面して来たのです。ある人はこれを真逆な出エジプト記だと言いました。あの時、民は「労働の故にうめき、叫んだ。‥‥彼らの叫び声は神に届いた」(出エジプト記2章23節)と言われます。そして神は無力そのものの民をその確かな御手で見事に救出されました。「あなたたちは見た、わたしがエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを。」(同書19章4節)。しかし、此処では民の「叫び声」(13節)は正に悪い知らせであって、視力を失っていた祭司エリを絶望に突き落とさせるのに充分過ぎる過酷なしらせでした。そしてこの時の神の民の敗戦は、イスラエルにとって「弱くなり給う神」を知る機会となったと言うべき事態だったのです。全能の神は、弱くもなり得る神、という意味でも全能であると受け止めなければなりません。強い神は弱くなれない、という意味で強いのではないからです。いと高い光の神は、同時に最も低い闇ともなることの出来る神です。しかも「イスラエルの栄光である神は、偽ったり、気が変わったりすることのない方」(サムエル記上15章29節)、と言われます。悲惨のどん底を民と共に、民に率先して受け止める神、それ故に「それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる民」(イザヤ書6章13節b)を起こす神です。既に早くから、旧約聖書でも繰り返し神は、悲嘆の民の神であり給いました。そして、新約聖書はむしろこの点を根底にして語る神の物語です。つまり、罪人をその低さにおいて救うために、人の子として「弱くなり給う神」です。待降節最後の主日に、この低きに降る神を迎え崇めましょう。

12月11日説教

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聖 書 フィリピ 2章25~30節
説 教 「窮乏時の奉仕者」

 「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました‥‥。」(25節)

 フィリピの信徒たちからの好意を、パウロに届けに来たのがエパフロディトという人でした。手紙の終わり近くに、「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」(フィリピの信徒への手紙4章18節)という言葉があるからです。ところが彼はパウロのもとに着いてから、長旅の疲れか、突然の発病かで瀕死の状態になり漸く回復したのです。この思わぬ事態にパウロは心を傾けます。遣いの役割を充分に果たせなかった当人の無念さもあるでしょう。彼を送り込んだフィリピの同志たちの間に流れる様々で複雑な反応も想像されます。「パウロを助けるために派遣したのに、重荷になってしまった」とか、「誰か他の人を派遣すべきだと思っていたわ」、あるいは「本当に病気だったのかしら。ただ単にホームシックにかかったか、恐くなったんじゃないかしら」などなど、注解者は(クラドック)この時にフィリピの側で囁かれる噂に想像を巡らしています。ともすれば悪い感情が吹き出しかねない事この態に、一切を労(ねぎら)いと慰めで執り成して、人々を一段高い所に引き上げようと、心を砕くのです。パウロの信仰における濃やかな配慮が伺えます。

 そこでエパフロディトを、パウロは「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼びます。いつの時代も困難さが伴う伝道と教会形成です。これに共に仕えて労苦を共に分かつ意識を盛んにするのです。「どのようなときにも、友を愛すれば、苦難のときの兄弟が生まれる。(友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生れる。口語訳)」(箴言17章17節)。協力者、ことに戦友に至っては、苦労ばかりか生死を共にする者同志の間の交流は格別なものがあるでしょう。そこでは他人の苦しみや悲しみは、当然のようにこちら側としての苦しみ悲しみとして受け止められるでしょう。ある苦しみ悲しみを前にして、旅人の苦しみに触れながらも、見て見ない振りをしたあの祭司やレビ人のようにか、或いは「憐れに思い」共苦する為に自分の道を少し外したサマリヤの人のようにか(ルカによる福音書10章31~34節)、それによって同じ一つの事態への人々の心の有り様は決定的に変わって来ます。「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言われた主イエスに従い倣うなら、あの良いサマリア人にはそこから、「わたしの兄弟、協力者、戦友」として先ず「宿屋の主人」から初めて多くの協力者が出て来る可能性が言外に拡がりますし、助けの手をそれでこと終わりとせずに、帰り道にたち寄り多く懸かった費用の支払いを約束して、そこから長く続いてゆく交わりの豊かささえもがが予想されるのです。

 若い後輩の伝道者の目に浮かんだ涙を忘れなかったパウロです。「わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。(テモテへの手紙二、1章4節)。宣教活動の苦労時に、若いテモテ自身にふりかかった迫害などで不覚の涙か、或いは囚われて行く先輩パウロを見送りながら、目に浮かべた涙か、ともかく同じ主に仕える身としての労苦に共感する思いが行き交う風景です。エパフロディトについても、同じような思いからパウロはさらに「わたしの窮乏のときに奉仕者となってくれ」た、と言うのです。パウロの労苦に与るように、という思いも込めて彼を派遣したフィリピの同信たちの思いの先端のところで、皆のそういう籠められた意図を代表するようにした、「キリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」エパフロディトがいる、という風に受け止めることが出来るでしょう。そういう皆の善意の集約を、パウロは受け止めています。だからパウロはなんとしてもエパフロディトを仲間のところに「大急ぎで‥‥送り出し‥‥再会を喜ぶ」ようにしたい、と考えます。そうすれば「私の悲しみが和らぐでしょう」と、多くの人の心を煩わせた感謝を表明しています。人の苦しみを共に担うべく、更には全ての罪人らに代わって死ぬために、闇の世に到来された神の御子を畏れ感謝して向かえるクリスマスが近づいています。景気の動向を優先させて気遣うだけの世間に逆行して、御子を送って下さった神からの共苦の喜びを知る時が迫っています。

12月4日説教

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聖 書 ヨハネ 2章23~25節
説 教 「人の心を知り抜く主」

 「‥‥イエス御自身は‥‥、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかった‥‥。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」(24b、25節)

 信仰は一つ、と言われます(エフェソの信徒への手紙4章5、6節)。それは神が私たちを導き入れて下さる賜物としての信仰を言うのであって、私達の側で受け取る信仰という面では、色々な段階があるのも事実です。それは復活信仰において、特に顕著に現れます。復活信仰が他の局面での信仰の性格を決めることになるからです。「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」(マタイによる福音書28章17節)。主イエスの復活に反応する信仰が、人々の間で多様だというだけではありません。主イエスの復活に直接であった弟子たち夫々が、復活を受け入れ信じることで段階的な深まりを経験したからです。又テキストには、イエスが「なさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」とありますが、この福音書の終わり近くで、主は「見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われています(ヨハネによる福音書20章29節)。さらに、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探します。わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、‥‥。」(コリントの信徒への手紙一、1章22、23参照)とも言われていて、「しるし」を見て信じることが、否定的に受け止められているのです。

 それで、「イエス御自身は彼らを信用されなかった。」と言われます。主イエスご自身は「だれからも証ししてもらう必要がなかったから」、と言うのがその理由です。「きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(ヘブライ人への手紙13章8節)である主イエス・キリストに対して、「吹く風のごとく/たえずかわる」(讃美歌529)と告白して歌わねばならない私たちとしての悲しい現実でしょう。しかし、そういう波風に翻弄されながら、敢えて身を委ね給う主に驚きを禁じ得ません。「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。」(マルコによる福音書4章37、38節)。湖の専門家であった弟子たちさえ、漕ぎ悩む激しい波風に揺さぶられて、自信を失う者たちですが、そういう者たちに御自分の身を任せて眠ることが出来た主イエスです。そしてそれこそが、「信用されなかった」者たちに御自分を渡しきるようにして、進んで十字架を負い給うたところにこそ、主の真実で揺らぐことのない愛が現れている、というべきでしょう。「だれからも証しをしてもらう必要がなかった」お方が、敢えて証しとしての宣教を託されるのです。正に使徒パウロが言うように、「‥‥神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(コリントの信徒への手紙一、1章21節)ということに感じ入らざるを得ません。

 それは、「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」からだ、と言う理由の深さを思うべきです。自分の事は自分が一番知っている、とうそぶく私たちです。しかし、この主の前ではそういう自身も怪しいもの、と曝(あば)かれてきます。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。」(エレミヤ書17章9、10節)。「風にそよぐ葦」(ルカによる福音書7章24節)のような不甲斐なさで揺れ動き、遂には最愛の主を裏切る程に「信用されない」私たちの罪を引き受けて死んで下さり、赦すところにまで至る主イエスです。それほどに私たちを知り抜いて下さる主というべきでしょう。私たちについての「その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない。」(詩編139篇6節)、と歌われます。そうなると、私たちは畏れ戦(おのの)きつつも、深い喜びをもってこの方に身を委ねるのです。私たち自身が自分を知るよりも、遥かに徹底して深く私たちを知って居て下さるのが主イエスです。「何が人間の心の中にあるかを知っておられ」るこのお方に出会うことは、私たちの最も深い慰めであり」安心です。主を知ること、そしてより適切に言えば、この主に知られていることが、私たちの命を癒し輝かせます。行き悩む時に背中を押してくださり、調子を上げ過ぎる時には穏やかさを回復させ、周囲の状況への的確な視野を養って下さる主への信頼に包まれて生きて行くのです。

11月27日説教

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聖 書 サムエル記上 4章1~11節
説 教 「奪われた神の箱」

 「こうしてペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ。」(10、11節)

 「神の箱」は、「契約の箱」又「あかしの箱」とも言われて、幕屋や宮、そして神殿の中心に据えられました。「神の箱」には、出エジプト後のイスラエルが荒れ野時代に、与えられた二枚の石の板に刻まれた十誡が収められていました。モーセの後継者ヨシュアが民を約束の地に導く時、この箱によってヨルダン川を堰き止めて渡り(ヨシュア記3章17節)、その後シロの宮に安置されました(サムエル記上3章3節)。神の臨在のしるしとしての威力をもって、民の拠りどころとなるとともに、敵には脅威を現すものでした。宮や神殿は、やがて私たち新約の時代の教会に引き継がれて行くことになります。そして、神の箱に収められた神の誡めは、取りも直さず神のご意志を示す神の言葉ですから、私たちの教会にとっての「聖書」を差し示すもの、と受け取ることが出来ると言えるでしょう。

 それは兎も角、イスラエルは約束の地であるカナンに入ることが出来ましたが、そこでは周囲の国々と繰り返す小競り合いのような戦いに、悩まされ続けました。その代表的存在であったペリシテとの戦いは、初期の神の民の悩みの種でした。青銅器時代から鉄器時代の移行は、ペリシテから製鉄法を導入するという恩恵も得たとは言え、繰り返すペリシテからの攻略に耐え抜くことが、サムエルやサムエルが立てたダビデ王の当面の課題でした。頃はまだダビデが王として立つ少し前の頃のことでした。イスラエルがペリシテ軍に向かって出撃したおり、戦いが拡がってイスラエル軍は4千人が討ち死にしてしまったのです。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか」、ということになりました。この問いはこの場合に限らず、神の民の常なる課題となって行くのです。この場合、彼らは「神の箱」を戦場に携えて来なかったためだ、ということになりました。そして「神の箱」を戦場に担ぎ込んで勇気を得ようと、安置されていたシロから担ぎ出しました。ペリシテの方は、イスラエル軍の大歓声を聞いた上に、神の箱の威力の情報を既に知って居たことから、大いに怖れましたが恐れた以上に奮い立ったので、戦いの結果はイスラエルの惨敗に終わったのでした。あまつさえこの敗北によって、「神の箱」がペリシテに奪われるという憂き目まで加わりました。この二度目の敗北が、イスラエルにもたらした悲惨が想像されます。

 そういう出来事にも拘わらず、確かに「神の箱」は神の臨在のしるしであることに変わりなく、その後奪還されてキルアト・エアリムのアビナダムの家に持ち込まれ(サムエル記上7章1節)、そこでの暫くの時を経て、ダビデによってエルサレムに運ばれます(サムエル下6章12節)。「神の箱」そのものに超自然的な力があるわけではないのは当然です。生ける神の意志に聞くことこそ肝要なことは言うまでもありません。箱が敵に奪われて、無惨な敗北を喫したとは言え、「神の箱」を廃棄することなどはイスラエルにとって思いつくこともなく、大切にされ続けたのです。そして聖書の民は、奪われた神の箱という「敗北」の経験から、繰り返しあらためて生ける神への信頼を学び続けてゆくことになる、と言えます。預言者イザヤの召命の折に、それは現れます。「主は言われた。『行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな、と。』‥『主よ、いつまででしょうか。』主は答えられた。『町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去るときまで。』‥‥なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。」(イザヤ書6章9、11、13節)。異教の王を拝する命令を拒んだダニエルの言葉に告白されます。「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書3章17、18節)。「そうでなくとも(たといそうでなくとも・口語訳)」という言葉に表された信仰です。そういう敗北的状況にあっても神への信頼を貫く信仰は、使徒パウロの言葉に連動している、と言えます。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」(コリントの信徒への手紙二、4章8~11節)。

11月20日説教

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聖 書 フィリピの信徒への手紙 2章19~24節
説 教 「共に福音に仕える」

 「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。」(22節)

 福音を宣教したというだけで投獄されて、果ては殉教死の可能性もあるにも拘わらず、それさえも喜ぶと言うパウロです。生きて牢獄を出ることが出来るか、迫害の死を遂げることになるのか、予断を許さない緊張する時間が空しく過ぎて行きます。そして、例え生きて帰らず、「‥‥信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。」(17節)と言います。このように最大不幸を最大歓喜に変えてしまうのが、キリストを喜ぶ信仰の威力です。そのことを先ず驚かざるを得ません。パウロは別の所で「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」と言っています(ローマの信徒への手紙8章32節)。そして御子をさえ惜しむことなく与えて下さる神の愛が、パウロを「神の教会を迫害した」者から「使徒」に(コリントの信徒への手紙一、15章9節)変えてしまう事実を示して、その上でそれが真実の謙遜に導くことの出来る力そのものだということを、彼自身の身をもって証しするのです。

 「皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求め」る人の多い世界です。何時もキリスト者はそういう世界に囲まれて生きることを、思わずにいられません。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(マタイによる福音書10章16節)。この飽くことのない自己愛の為に、この世はやがて衰え、滅び去って行かねばならない定めです。そういう中で、歳の差を越えて「同じ思いを抱いて、親身になって‥‥心にかけている者」がいることが救いです。パウロは若いテモテが、福音の為に流した「涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたい」(テモテへの手紙二、1章4節)と言いました。十字架の苦しみは、「自分のことを追い求め」る人々の味わうことが出来ない喜びを知っています。そしてそういう苦しみこそが、人の心と心を真実の絆で結ぶのです。キリストを共通の主と仰ぐ者たち同志は、苦しみに共感する心によって結ばれるのです。「どのようなときにも、友を愛すれば、苦難のときの兄弟が生まれる。」(箴言17章17節)。十字架の受難が迫る主イエスに、香油を注ぎきったベタニヤ村のマリヤは、主の愛の大きさにおののくような喜びを表した弟子でした(ヨハネによる福音書12章3節)。彼女の行動をその時理解した人は、主イエス以外にはありませんでした。却ってそれを無駄な行為として非難すら浴びせました。しかし、主の十字架の御苦しみに共感する喜びは、そういう孤独をも耐え抜きます。主イエスの喜びが、溢れ出しているからです。

 そういう喜びによってテモテのことを、「息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。」とパウロは言います。そういう喜びが、生か死か二つの可能性の狭間(はざま)に立つパウロを解放しています。「自分のことの見通しがつきしだい」とこともなく言うパウロです。生か死かの可能性が迫っています。「パウロよ、出て来なさい」という声が扉の外から掛かる時が、殉教か解放か二つにひとつの可能性です。それが「死」であれば、主の御前(みまえ)に出て行き主を仰ぐ喜びの時、「生」であれば、兄弟たちとの喜びを分かつ機会です。そうした時が迫る近さを、彼は「‥‥主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピの信徒への手紙4章5、6節)という信仰の日常的な勧めに転換することの出来る信仰です。「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ローマの信徒への手紙14章7~9節)。そういう彼の言葉が此処でも鳴り響いています。主を共に喜び、その福音に共に仕える喜びは、ベタニヤ村のマリアが注いだ香油が部屋一杯に拡がるように世界に伝えられ、闇を光に変えて行きます。

11月13日説教

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聖 書 ヨハネによる福音書2章13~22節
説 教 「神殿ーキリストの御体」

 「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』‥‥イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」(19、21節)

 カナの村で「最初のしるし」としての栄光を現された主イエスは、直ぐにエルサレムに上りいわゆる「宮清め」をなさいます。神の御子として神殿への愛を如何に深く注いで来られたかを示す行動です。既に少年時代、過越の祭で両親と神殿に詣でた時に、主は神殿への特別な愛着を示しておられました。「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。‥‥、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」(ルカによる福音書2章46、49節)。又、この時、宮を「商売の家」として利用する人々に、激しい姿をお示しになる様子を見ていた弟子たちが、「あなたの神殿に対する熱情が、わたしを食い尽くしているので、あなたを嘲る者の嘲りが、わたしの上にふりかかっています。」(詩編69篇10節)という預言が目の前に展開するのを見た、と言われます。主イエスの抗(あらが)い難い神殿への思いを彼らは感じ取りました。神殿においては、ひたすら神の栄光だけが顕され拝されるべきであって、どのような意味でも人の利益や便宜が先行してはならないことを、主イエスは厳(きび)しくお示しになっておられる訳です。人々が日常的に神殿を引き合いにする誓いにおいても、「神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。」(マタイによる福音書23章21節)と言われて、神殿に掛ける主イエスの御思いの並みでないことを示しておられます。

 その行動に、当時の宗教的権威者たちが反発しましたが、それは何時になく主イエスの行動の荒々しさに刺激された、というだけではありませんでした。それは、石造りの神殿に固着する彼らの権威と、肉を執って私たちの所に来られた神(ヨハネによる福音書1章14節)の十字架死と復活から来る権威とのぶつかり合いでした。石と肉との対比、と言うことでは、正に石に書かれた律法による古い契約に、人の胸と心に記される新しい契約が更新される日の到来を示すものでした。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31章31~33節)。それは同時に、石のように頑(かたく)なになりがちな人の心が、肉の優しさや柔軟さに変えられる、ということをも意味します。「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。」(エゼキエル書11章19節)。

 以来、神殿は主イエスご自身の体のことであり、そこから主に心を委ねて従う私たちそのものだ、という当時からすれば驚くべき考え方の移行が、当然のこととなって行きます。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(コリントの信徒への手紙一、3章16~17節)。弟子たちがこのことを聞いた結果を福音書は次のように書きます。「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」(22節)。神の子の死と復活が、私たちの「肉から石の心を除き、肉の心を与える」という上に引用した預言を実現します。そしてそうした生かされた心で神を礼拝するようになる時、「この山でもエルサレムでもない」、あらゆる場所で「父を礼拝する時が来る」(ヨハネによる福音書4章21節)、と主イエスは言われます。主イエスの死と復活に生かされ、常に「イエスが‥言われた」ことを「思い出し、‥信じる」ことが私たちの信仰の歩みに伴います。そういう私たちにとっては、信仰生活そのものが常に絶えることのない新しい「宮清め」です。今年も私たちは宗教改革記念の時を過ごしました。宗教改革は教会の歴史に刻んだ礼拝改革でした。そしてそういう礼拝が常に新しくされることを求めるのは、聖書そのものの本質的な性格であり、そいう歩みを続ける教会は、キリストの御体としての神殿という性格を持ちつつ、常に御言葉によって改革され続ける教会です。そこでは、十字架の死を仰いで悔い改め、復活に与って新しい命の希望に生きる生活が繰り広げられます。

11月6日説教 

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聖 書 サムエル記上 3章6~14節
説 教 「主よ、お話ください」

 「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。『サムエルよ。』サムエルは答えた。『どうぞお話しください。僕は聞いております。』」(10節)

 サムエルが生まれた頃のことを、聖書は「‥‥そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。」と記します。元々、人の心は神の言葉によって生きるように造られています(申命記8章3節、マタイによる福音書4章4節)。従って、御言葉を聞かない時代は、それだけで荒(すさ)んで、魂の飢えが深まっています。神の言葉に聴き、魂の養いを受けないことが習慣化すると、やがて聴きたいと願っても聴けないような時が来る、と預言者アモスは警告します。「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」(アモス書8章11節)。しかし、そういう中でも御言葉は消え去ってしまわず、神殿奥深くで燃え続ける灯の微光(びこう)のように再び燃え出す時を待っています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マルコによる福音書13章31節)。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ書55章11節)。

 そしてついにその時が来ます。神は幼子サムエルを選び語り掛けなさいます。神殿での祭司エリとのやり取りは、人が「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」と言うようになり、神の言葉に向けて心を開くようになる為には、手ほどきが必要なことを示しています。「読んでいることがお分かりになりますか」、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」、「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」(使徒言行録8章31、34~35節)。「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」(ペトロの手紙二、1章20、21節)。そしてさらに付け加えるならば、サムエルは主がお語りになる時、「ここにいます」と言いました。神の言葉が語られ聞く時に、人は自分の居場所をはっきりと知るようになります。「あなたはここに居て良いのだ」というメッセージは、なんと私たちを安堵と確信に導くことでしょう。正に、神の言葉を聴かず聴くことから遠ざかっていることの結果は、自分の居場所が分からなくなることです。そのことによる心の荒廃が拡がっています。私たちはその結果の悲惨を、日常的に否応なく見せつけられています。神はそういう状況下で、依然として「どこにいるのか。」(創世記3章9節)と問い、迷い出た羊を見出す為に探し求める羊飼いのように(ルカによる福音書15章4~7節、他)行動し続け給います。

 しかも、このようにして聞いた御言葉によって「両耳が鳴る」(11節)と言われます。「主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めてくださる」(2章7節)とサムエルの母ハンナは歌いました。神はその救いを裁きを通して現すお方だからです。御言葉と共に「新しいことを」なさる神は、「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」(イザヤ書43章8節)広大な救いの成就と共に、「必ず裁きを行い、ある者を低くし、ある者を高くなさる」(詩編75篇8節)からです。幼子サムエルは高められ、エリが去らせられます。サムエルは神がお語りになった言葉を、そのままエリに伝えるのを躊躇しました。それ程にエリにとっては厳しいことが語られた内容だったからでした。しかし、敢えてエリはそれを知ろうとサムエルに迫りました。そして低くされるエリは、謙遜にそれを受け入れています。敢えて言えば、神の言葉を聞きその実りを見る時、低くされた者の謙遜と喜びが拡がるのです。洗礼者ヨハネは、救い主キリストの到来を、無常の謙遜と喜びをもって迎えています。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネによる福音書3章29、30節)。

10月30日説教

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聖 書 フィリピの信徒への手紙2章2~18節
説 教 「曲がった時代に星のように」

 「‥、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。‥」(15、16a節)

 星も神の御手による被造物であって、やがて消え去る時が来るのは当然です。しかし、星が私たちに永遠を思わせるのは、その悠久の時間的な長さによります。信仰者が「星のように輝」くと言われるには、「永遠を思う心」が与えられたことを確信して生きるからです。「 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」(コヘレトの言葉3章11節)。信仰によって神に召し出された者は、自分の存在が遠い過去から既に覚えられていたことを知らされます。パウロは、自分が信じて従うキリストを、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」と(ガラテヤの信徒への手紙1章15節)と言い表しました。預言者エレミヤも、彼を召し出した神が「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」(エレミヤ書1章15節)と言われる御言葉を聞いて、その困難な預言活動を支えられながら耐え抜く力を与えられています。又、永遠を思う信仰は、同時に遙かな未来への希望に生きる道が拓かれます。アブラハムは神から「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」と言われ、「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15章5節)という約束に生きる者とされました。既に老人になり子の無いアブラハムと妻サラだったにも拘わらず、でした。草や花のような儚(はかな)い存在(マタイによる福音書6章30節、ペトロの手紙一、1章24節)が、変わることなく支えられる確かさです。

 それでこそ「よこしまな曲がった時代」の現実に、勇気をもって生きる力や知恵が与えられる根拠と言えます。元々、愛そのものである神と御子を十字架につけた世です。私たちの罪がいかに深く邪悪かを、身に沁みて知ることとなった信仰です。「‥‥このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。」(ローマの信徒への手紙7章13節)。神の御子の十字架による赦しによって、この邪悪な罪から救い出された私たちは、「よこしまな曲がった時代」を生き抜く知恵と忍耐が必要です。そこで「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」(エフェソの使徒への手紙5章16節)という戒めを心に留めます。それは神の裁きに備えたノアの生き方に倣(ならう)うものとなるでしょう。「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」(ヘブライ人への手紙11章7節)。「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた‥‥あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。‥‥見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。。」(創世記6章11、12、14、17節)。

 こういう生き方をパウロは「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努め」る、という勧めで語ります。「怖れおののく」信仰とは、主なるキリストの権威の前に立つ信仰です。そういう権威によって生きる信仰が、私たちを解放し本当に自由な者とすることを確認したいと思います。「人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』」(ルカによる福音書4章36節)。誰も癒すことの難しかった病を癒された主イエスを見て、人々が思わず口にした言葉です。主イエスには、そういう特有の力が満ちあふれていました。確かに救い主の教えと業には、人を怖れおののかせる力が伴いました。そこでは、主は「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」(ルカによる福音書12章5節)と教えられます。こうしたお方によって、救いの達成に努めることが勧められる言う訳は、こういう「怖れ」を知って生きるとき、私たちは大きな安心が得られるからです。それが生き死にを通じて、正に常に命の主の平安に囲まれ守られる生き方です。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」(14~16節)。

10月23日説教

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聖 書 ヨハネ 2章1~12節
説 教 「最初のしるし」

 「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」(11節)

 主イエスの公的な御生涯で、最初の栄光がガリラヤのカナの婚礼に現れた、と言われます。しかも、人々が信じるようになる為の神の栄光の「しるし」です。不信の世に信じる人々を起こすために、神はかつてはモーセを用いて言われました。「たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。」(出エジプト記4章8節)が、今は遣わされた御子を通して喜びの福音を告げ、しるしによって栄光をお現しになるのです。それには先ず、ある困窮した事態が生じ現れ出ました。婚礼の喜びを盛り上げるぶどう酒が底をついたのです。宴会の世話役が台所でこの事態を知った時、その部屋を覆ったであろう暗い雰囲気を、私たちは容易に想像出来ます。客間にいる人々はこのことを知らずに、祝い気分は続いたままです。しかし、その喜びになくてはならないぶどう酒が尽きてしまっているのを、彼らは知らないのです。まるで現代世界の状況が、ここに的確に預言的に現れているのを私たちは感じないでしょうか。そこに居合わせたイエスの母マリアがそれを知ったのですから、あるいは彼女は親戚筋であって、手伝いに来ていたのかも知れません。そこに招かれていた主にそれを伝え、しかし一見素気(すげ)ない返答が返った時、ことは絶望的な深みを覗(のぞ)かせた、と言えます。救いや恵みに私たちが与るのも、世にあってはしばしばこのように、試練や悩みから始まり、それも最初の内は解決どころか、事態は一層難儀さを深めてゆくようにしか思えない、という場合が多いのです。

 しかし、マリヤはそこで人間的な受け止めではなく、一切を御子の手に委ねます。荒れ野で群衆が飢えた時、弟子たちは主イエスに、「人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」(マルコによる福音書6章36節)、と言うように自分たちの人間的に思いつく提案をしています。しかし、マリヤがそうしなかったのは、イエスのあの少年時代の出来事以来、理解を超えたイエスの言葉を「すべて心に納める」(ルカによる福音書2章51節)、という彼女の習慣づいた信仰によって対応したのでした。「イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った」(2章4、5節)。そこで主は水がめを一杯にして、宴会の世話役に渡すように召し使いに告げます。清めの水という、律法的な外面的定めを「廃止するためではなく、完成する」(マタイによる福音書5章17節)主なるキリストは、それを福音的な内側からの喜びに溢れさせなさいます。こうして主は水をぶどう酒に変え、途絶える筈だった祝祭の喜びを続けなさいます。水を汲む、「それが何に?」(ヨハネによる福音書6章9節)と言わないことです。主は信仰の「一杯の水」に「報い」を現されるお方です(マルコによる福音書9章41節)。今、世界は厖大(ぼうだい)に膨(ふく)れ上がる豊かさの陰で、ぶどう酒が尽きるような渇きと飢えという闇が広がっています。どんな人も、水をぶどう酒に変える福音の主を、必要としています。人々は気づかない処で福音を待ち望んでいるのだ、ということを忘れないようにしましょう。

 それには、この「最初のしるし」が、カナという寒村の一家庭を場として、そこに顕れた事を覚えましょう。なぜなら、昔天国の雛形(ひながた)と言われた家庭が、今やせ細っているからです。まず主はそこで御業をなさるのです。孤独と吝嗇(りんしょく)を深めることしか知らなかった徴税人ザアカイの家に主は泊まる、と言われました。喜び迎えたザアカイの心に流れる水がぶどう酒に変えられました。「‥‥ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」というこれまで決して口にしなかった言葉を発した時、「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」と言われました(ルカによる福音書19章8~10節)。又、悪霊に憑(つ)かれて長い間苦しみ抜いて来た人が、主イエスに救われて正気を取り戻した時、喜びの主に付き従いたいと無理からぬ願いを申し出たことに対して、「イエスはそれを許さないで、こう言われた。『自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。』」と仰って、自分の家で救いの喜びを証しするように命じておられます(マルコによる福音書5章19節)。家族が、主イエスの福音に触れる機会を多く持つようにすること、それが「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。」(11、12節)という福音書の記録の意味だ、ということになる訳です。

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