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2月26日説教

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聖 書 サムエル記上7章2~4節
説 教 「ただ主にのみ仕える」

 「サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。『あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。』」(3節)

 イスラエルはその歴史の歩みの節々に、常に確認を繰り返して来ました。それは彼らがモーセ以来、唯一の神との契約共同体である、ということです。つまり、彼らにとって他の神々などはない、という確認です。「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュア記24章14~15節)。こういうヨシュアに促されて、主に仕える決意を固めながら、約束の地に定住して以来も、彼らは先住の民との厄介な関係に巻き込まれざるを得ませんでした。周囲の敵たち、例えばペリシテの脅威との戦いばかりでなく、カナンの文化や宗教などの影響といったあらゆる困難な状況で、イスラエルはただ主だけを見つめて歩むことが求められました。

 その為に主に向かって「心を尽くして立ち帰る」ことが肝心なことでした。彼らを「鷲の翼に乗せて‥‥連れてきた」神の「契約を守る」ことによって、彼らは神その方の「宝」として、「あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」言われているからです(出エジプト記19章4~6節)。この点は、神の民のはるか歴史の果てにおいても、変わることなく再確認さています。彼らが選びより先に彼らを「選んだ」神(ヨハネによる福音書15章16節)の「愛にとどまり‥‥掟を守るなら、‥‥喜びが満たされる」(同9~11節)、という変わることのない確かな約束が与えられています。モーセ以来の伝統に、民は繰り返し立ち帰り、全てが神から出ていることを知り、その権威に服す歩みを通して安寧が保たれる、という確かな約束を生きることが出来るのです。ここで、「神に立ち帰る」歩みが、具体的には「あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除く」行為を伴っていることに注目したいと思います。ひたすらに神に目を注いで、主にのみ仕える生き方が、そのまま周囲の民らの偶像を排除する決断を引き起こす、という行為を伴っていた訳です。確かに「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。」(コリントの信徒への手紙一、8章4節)、とパウロが言う通りです。しかし、偶像は人の心の欲望に端を発して、貪欲を深める(コロサイの信徒への手紙3章5節)ものであるだけに、「乳と蜜の流れる地」(エゼキエル書20章6節)とも言われる約束の地の豊かさを巡る誘惑となって神の民を誘い続けるからです。

 このようにして、預言者サムエルによってモーセ契約が再確認されました。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。なたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6章4、5節)。「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。」(列王記上2章3節)。それは、ペリシテの脅威に手痛い敗北を経験した後のイスラエルにとって、身に浸みる教訓として残ったと考えられます。信仰による戦いの歴史においては、神は成功や勝利の出来事によってだけではなく、敗北や挫折経験を通しても、民に益となる教訓をお与えになることが出来給います。「地上の全部族の中からわたしが選んだのは/お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを/すべての罪のゆえに罰する。」(アモス書3章2節)。神こそ唯一であり他の神々などないという知識によって、神は光お神だけではなく、又闇においても神その方であることを止め給うことがない、という確信が与えられるからです。そういう歴史的な負の経験によって裏付けられたイスラエルの知識は、世から贖い出され、尚様々な価値観の多様性の影響に晒されながら生きる私たちにとっても勇気と希望の源泉です。複雑で、混乱さえ渦巻くような現代世界の只中で、「我々は皆、唯一の父を持っているではないか。我々を創造されたのは唯一の神ではないか。」(マラキ書2章10節)という確信を、あらゆる場所で「道であり、真理であり、命である」(主イエス・キリストヨハネによる福音書14章6節)に従う歩みにおいて保つことが、私たち全てのキリスト者に求められています。 

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