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4月23日説教(郡上八幡伝道所)のポイント

「さあ、命の道へ」

聖書 詩編 第16編1節~11節

             伝道師 三輪恵愛

   

①ダビデが苦難のなかにも関わらず主を誉める理由。Sauldavidreconciliation

150ある詩編のじつに70以上がダビデ王の作品だと信じられてきました。ダビデが本当に作詞作曲したかどうかの信憑性を確定することは、聖書の本質的な問いではありません。ダビデをはじめとして、信仰の道を歩んだあらゆる信仰者が、なぜ苦難のなかにあっても5節「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方」と歌えることが出来るのか。この問いを自分のものにすることこそ、信仰を与えられて、命の道へと至ることへの大きな転換点になります。

苦難のなかで主の復活とわたしたちの関わりが深められる奇跡。

「復活の出来事が事実である」と確信する信仰が与えられることは、父なる神と子なるイエス・キリストのもっとも確かな関係のなかに招かれることを意味します。確かなものを信じて生きることほど、人生が有意義になることはありません。キリスト以外のすべてのものは、究極の絶望である死をどうすることも出来ません。しかしキリストの復活の信仰に生きるとき、人生が死の絶望のなかにあっても希望を失わないのです。ダビデはあらゆる苦難のなかにあっても主なる神を「主と呼ぶ幸い」の境地に達しました。人生が幸福になることは、苦難が消えることではありません。本当の幸福とは、たとえ苦難のなかにあっても、人生を導いておられる自分よりももっと確かなお方との関係が明らかになることです。

 ③ダビデなの?メシアなの?いいえ、命の道に行くのはわたしたち教会。

 信じるものに「墓穴を見させない」と約束してくださるお方は、イエス・キリストを復活させました。その出来事が、旧約の時代に預言として語られ、十字架の死と復活によって、預言の成就は確かに果たされました。この預言の成就でもある、詩編第16編は、新約の時代にあっては「メシア復活の預言」として語られます。使徒ペトロ、パウロを初めとする多くの説教者によって説教されることにより、教会は復活のキリストを唯一の主と告白する新しい命に生かされていったのです。詩編は一人で歌って意味が分かる類のものではありません。ペトロもパウロもしたように、詩編は教会の交わりのなかで祈りと共に歌われてはじめて、救い主の命のなかに生かされることになります。父なる神が御子イエス・キリストを復活させ、もっとも確かな関係を世に築いてくださいました。その次に命の道に行くのは、わたしたち教会です。さあ、命の道へ!詩編をともに歌いながら、復活の確かな関係のもとに、与えられた人生を全うしていきましょう。

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