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5月28日説教のポイント

「満ち満ちてキリスト」

聖書 エフェソの信徒への手紙第1章15~23節

                         伝道師 三輪恵愛

①イエス・キリストによって神を深く知ること、それは自分を知ることへと導く

エフェソの信徒への手紙は、エフェソ教会だけではなく、その他の多くの教会において回覧や筆写されながら読まれたものでした。手紙の要点は、父、子、聖霊なる三位一体の神を礼拝する民の形成、すなわち教会の形成を主眼においています。パウロは祈りのなかで三つのことに触れています。「神の力」「豊かな希望」「信仰者に働く絶大なる神の力」です。さきの二つが伝えることは、神を深く知ることによって、わたしたち自身も本来の姿を知り、そのことが、「イエス・キリストにもとにしかない赦しに招く」豊かな希望へ導くということです。

②わたしたちに働く絶大な力は、罪びとを赦しのもとに置き、すべてのものから解放する

「神の絶大なる力」は、イエス・キリストを十字架の死から復活させました。その力が信仰者にも働くというのです。それは、キリストを復活させることに等しい、罪びとが罪を赦され、神のもとに立ち返らせた力だというのです。すなわち、わたしたち罪の死のもとにあったものにとって、神のもとに立ち返ることは、新しい永遠の命への復活でした。このことによって、赦された罪びとはキリストのものとなり、すべての「支配、権威、勢力、主権」のもとから解放されるのです。そうして、さまざまな日々の生活に置かれている多様な人々が、一同にキリストを頭として集められているのが、この教会なのです。

③教会、それはわたしたちのなかで働くキリストが満ち満ちているところ

パウロの最後の言葉は印象的です。23節「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」。教会はキリストを頭にして、どのようなところにあってもキリストを主とすることで一致しています。そのキリストの体が教会である以上、教会はキリストに満ち満ちておられることは当然のことです。それは、わたしたち、神を知ることで自分の欠けを知らされたものにとって、すべてを満たすところです。けっして教会にあって、欠けが多いことを嘆くばかりのところではありません。キリストが満ち満ちているところにあって、一つのものとされている豊かな交わりにあずかる所なのです。

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