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5月28日説教(郡上八幡伝道所)説教のポイント

「尽きることのない喜び」

聖書 ルカによる福音書第24章40節~53節

             伝道師 三輪恵愛

 

 

①旧約聖書もイエス・キリストを中心にして読む。イエス様の霊によって知らされる真実

「なにか食べるものはありますか」、復活のイエス様に弟子たちが差し出したものは 一切れの焼いた魚でした。十字架にお架かりになる前と同じお姿で復活されたイエス様は、肉体をもっていたゆえに、差し出された魚をお食べになります。そのあとイエス様と再会できて喜びにあふれる弟子たちにお語りになることは、「律法、預言書、詩編はわたしの証しである」との言葉でした。旧約聖書のどこを探しても「イエス・キリスト」の一文字も出て来ません。それJesusheisrisen640x360にも関わらず、イエス様は「律法、預言書、詩編」がわたしの証しであると言い切るのです。なぜでしょう?それは、旧約聖書全体にわたって示されているものは、「キリストがどのようにして人間に罪の赦しを与えるか」に集中しているからです。

②聖霊の働きが聖書にたいするわたしたちの意識を開く

イエス様のお言葉である「旧約聖書全体がわ たしの証しである」と確言されていることを、わたしたちはどう受け取ればよいのでしょうか。「はい、わかりました」と言って、確信をもってわかるようになるまで、旧約聖書全体を一生懸命、勉強すればよいのでしょうか。たしかに聖書に親しむことは大切です。読むたびに新しい発見があるでしょう。しかし人間の知性には限界があります。また人間的努力で聖書を理解して「救われた」ような気になったとしても、それは主なる神様による赦しとは異なるものです。大切なことは、そのときに「心の目を開いてくださる」キリスト御自身の霊の働きがあってこそ、はじめてわたしたちに聖書はキリストによる唯一の救いであることが分かるということです。したがって、霊の働きが注がれている礼拝こそ、聖書に証しされるキリストのお姿に出会う場なのです。

③さらには聖霊が聖書から語り教会を建て上げる、ペンテコステの喜びへ!

「高い所からの力に覆われるまで、都にとどまっていなさい」、イエス様は弟子たちに、しばらくエルサレムにとどまるようにと指図されます。復活のイエス様が先立って、宣教されるのではないのでしょうか。もうその必要はなくなAscensionったのです。なぜならば、父なる神様と子であるイエス様から送られる聖霊が、教会に働くことが約束されたからです。復活のイエス様が宣教されるよりも、さらに豊かに、広く。弟子たちは「これらのことの証人となる」と宣告され、いよいよ全地にむけてイエス・キリストこそ世の救い主であることを宣べ伝えることになります。それは聖霊が注がれたことによってはじめておこなわれたこと。イエス様をお慕いする人間的な集団が勝手に始めたものではありません。やはり、聖書を悟らせる聖なる霊によって、教会は建ち、広がっていったのです。聖霊によって建てられた教会は、かの日に復活のイエス様が祝福しながら天に昇られたように、いまも豊かに祝福を受けて、聖なる霊によって働き続けています。次の主日、ペンテコステはその聖なる霊が注がれ、教会が歩み始めたときをお祝いする主日なのです。

 

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