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5月7日説教(郡上八幡伝道所)のポイント

「名を呼ぶ声は懐かしい」

聖書 ヨハネによる福音書 第10章1節~11節

             伝道師 三輪恵愛


①「盗人、強盗」?教会の危機、イエス様以外のことを語るものたち。

イエス様は御自分のことを「良い羊飼い」と言われる前に、「わたしは羊の門である(7)」とも語ります。その言葉の意味は、羊飼い052113_2と対立するものとして語られる、「盗人、強盗」がどういう人を示しているのかから考えると理解しやすいでしょう。ヨハネ文書ではまず具体的に「偽りを語るもの(偽教師、偽預言者)」=「反キリスト説明: 052113(ヨハネの手紙一2:22等)」を示していますが、つまりは「イエス・キリストが救い主である」真実を語らないものたちを含めます。「盗人、強盗」は自分たちのために羊を盗もうとします。その声がイエス・キリストを語ることはありません。奪った挙句に、10節にあるように、「盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするために」、それを行うのです。

②「名を呼ぶ」、その人の存在を捉え、救いの言葉を告げる神

様々な価値観の言葉が氾濫する今の世の中に歩む教会も、イエス・キリスト以外のものに救いを見い出そうとする言葉に晒されています。「聴き手の救い」ではなく、語る者の利益のために語られている言葉から、わたしたちは真実の救いの言葉を聞き分けなければなりません。イエス様は3節で「羊はその声を聞き分ける」と語り、「羊」には、その声を聞き分けることがすでに出来ると言います。「本当ですか!?」と言いたくなります。同じく3節には、「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」とあります。羊飼いは一匹一匹の羊を「羊の群れ」として括ってしまうのではなく、それぞれに大事な名前をつけて可愛がりました。わたしたちも、神様に名前とともに命を与えられて生きています。聖書は、わたしたちに命を与え、今もその存在を支えてくださる創造主なる神と、御言葉による霊の養いを与えてくださるお方は、同じお方だと言います。つまり、わたしたちの名を呼んで存在へと導いた方の声が、いまもわたしたちに与えられた命のなかに懐かしく響き、わたしたちの魂は真実の救いの声を聞こうと願うのです。これが、羊には魂のお世話をしてくれる飼い主の声を聞き分けることが出来ることの意味です。

「囲いのなかの牧草(9節)」イエス・キリストが語られるところに命を受ける

わたしたちにとって本当に魂の養いになるのは、なんでしょうか?羊にとっては、それは「牧草」だと言います。牧場の羊を思い描いたとき、羊たちは囲いのなかでそれを食べながら丸々と太って豊かになっていきます。「主の口から出る言葉を食べる(申命記8:3)」聖書が語る人間の魂の霊的な養いは、聖書の御言葉です!囲いのなかにそれが満ち満ちているところ、それが教会です。イエス様が「わたしは羊の門である」と言われたことは、御言葉の養いを受けるためには、やはりイエス・キリストが語られるところから入ることが大切だと語るのです。この礼拝のとき、世界中のたくさんの教会で、いろんな言語で、言い方で、いろんな牧者を通じて「主の言葉」が語られます。しかし語られるものは「イエス・キリストが救い主である」の一点に集中します。イエス様を唯一の門としているとき、そこに入る「羊たち」は、御言葉をいただき、「命を豊かに受け」、良い羊飼いはイエス・キリストただ一人であることを喜ぶのです!

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