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4月30日説教(郡上八幡伝道所)のポイント

「かけがえのない贈り物」

聖書 使徒言行録第2編36節~42節

             伝道師 三輪恵愛


①「イスラエルの全家」、そこにわたしたちは含まれるのか、含まれないのか

ペトロが大勢のまえで復活のイエス・キリストについて説教をしています。36節「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエス」。「イスラエルの全家」とは誰を含んでいるのでしょうか。ペトロは、父なる神が、イエスといPeter_preachingうお方を主とされたことを、受け入れるか否か、から人の罪を考える方向を促しています。38節「悔い改める」と訳されている言葉は「メタ・ノエオー」という言葉で、「向き直る、方向を変える、」という意味です。ペトロは「十字架のイエス様を、主とし、メシアとなさった」、その神様に向かって方向を変えることを促しています。すなわち、その方向に向き直るべき人は、すべて「イスラエルの全家」に含まれています。

②倫理的に悪いことだけが罪ではなく、神様に背を向けることが本当の罪

「どうすればよいのですか」と聞く人たちに、ペトロは語っていきます。38節「悔い改めなさい。めいめいキリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」、「罪」という言葉、「ハマルティア」と言います。これはもともと、弓矢で的を射抜くときなどに的外れになることを指す言葉でした。そこから転じて、「行いが正しくない、あるいは的外れのことを考える」ことに意味が展開していきます。本来の方向から的外れであること。主なる神に対して背を向けている、すなわち、神が救い主として定めたイエス・キリストを主とは信じないこと。それが、罪であると語るのです。したがって、神の定めについて、いままで背を向けていた、ということに気づき、自覚的になれるのであれば、それは、じつに神に招かれている自分の発見なのであります。

③聖霊の存在はわかりにくい?それはイエス様を主と告白させる主体。

38節と39節「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」ペトロは「悔い改めれば」「賜物として聖霊を受けます」とはっきり言いきっております。賜物として与えられている聖霊の働きをどうすれば、わかるのでしょうか。神の救いは、十字架のイエス・キリストを主と仰ぐようにわたしたちを導くことなのです。現実のなかで悲しみ、苦しみ、困難に立たされたとき、わたしたちの十字架をともにいて背負ってくださる方を主と信じ、告白することです。それをさせるのは贈り物として与えられる聖霊なのです。かけがえのない贈り物としての聖霊をたえずいただきながら、わたしたちは神様に向きなおり続ける歩みを続けていきます。罪を気づくことも恵みであって、気づけばまた向き直ればよいのであります。それがわたしたちの祝福された歩みです。

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