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6月25日説教のポイント

「恐れてこそ、賜る平安」

聖書 マタイによる福音書第10章26~31節

                         伝道師 三輪恵愛

 

①遣わされる十二弟子を通して、今の教会に向けられた言葉

マタイによる福音書第十章は十二弟子が選ばれ宣教に遣わされる様子が描かれます。そのなかでイエス様は事前に弟子たちに心がけることを教えます。選ばれた十二弟子。これは後の教会にとっては自らを重ねる存在とされていきます。つまりイエス様によって遣わされる代々の教会。ですからここで十二弟子に向けられた言葉が、教会にも語られているものとして大切にされてきました。「覆われていること」「隠されていること」、これは福音の真実を指す言葉として源を同じくします(アポカリプト:啓示につながる言葉)。「明るみで言いなさい」「言い広めなさい」、神よりの福音を語っていくこと、教会のもっとも大事な務めです。

②神様は恐ろしい存在?そうではなく「魂も体も」すべての存在を御手に置いてくださる方。

「地獄で滅ぼす」、思わず目をそらしたくなるような恐ろしい言葉です。「えっ、神様はそんな無慈悲な方なの?」そのように考えると「恐ろしいから神様を信じる、宣教する」という信仰理解に陥りかねません。「地獄があるのか、ないのか」そのような終わりのない神学論争にもつながるでしょう。それは果たして福音の本質でしょうか?ここでは「地獄」と訳されていますが、ここは一つの聖書翻訳の問題になっています。それよりも大切なことは「魂」「体」、人間の本質を捉え、永遠に御手のうちにおいておられるお方が神様であるということ。そのことを聞くほうが重要なのです。

③「雀よりはるかにまさっている」わたしたちは神様にとって大切な存在。

「二羽の雀」は、当時のユダヤ教の神殿で捧げられる犠牲のなかで、もっとも金額の安いものでした。このもっとも小さな献げ物とくらべながら、イエス様はわたしたちに語られます。「どんなに小さなことであっても、あなたのことはわたしの御手のうちにあるよ」。すなわち教会とは神様に、地上において福音を「明るみで語り」、「言い広める」ために召し出された存在です。雀に比べればはるかに大切な務めを与えられている、神様にとって大切なものです。確かに宣教に仕えるなかでわたしたちの恐れはつきません。しかしそのなかで語られている御言葉が聞こえてくることが、神様の御手のうちにあることの最たる証し!恐れがあってこそ、わたしたちには神様に永遠に導かれる平安が約束されているのです。

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