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7月16日説教のポイント

「わたしはあなたのもの」

聖書 ローマの信徒への手紙第8章1~11節

                         伝道師 三輪恵愛

 

①律法によって示される罪。完全を求めるのではなく、罪に弱い自分を自覚することの大切さ

 

 「敬虔なクリスチャン」、世間一般でこのような言われ方を聞いたとき、「わたしも敬虔なクリスチャンでなければならないのだろうか」と感じさせられます。教会に行っている人は皆、「品行方正、語ること、行うことが正しい人」。それは目指すべきところですが、なかなかそうはいきません。わたしたちには、神の御心に沿う生き方のために、律法が与えられております。しかし同時に聖書は律法を完全に守ることは出来ないとも語ります。それでは、律法はわたしたちに無理難題を押し付けているのでしょうか!?そうではありません。律法があるからこそ、わたしたちには罪がどのようなものかがわかってきます。そして、律法によってわたしたちに罪が示されたとき、はじめて、わたしたちにはイエス・キリストの十字架によってのみ救われることがわかってくるのです。

 

②キリストによってわたしたちの霊が新しくされる生き方へ

「肉の弱さによる罪」すなわち、神の御心を思わず、自分中心に生きてしまうこと。この弱さを神様は、イエス・キリストがわたしたちと同じ、肉の姿で地上に来られ、十字架において予め滅ぼしてくださったことによって、肉による支配を取り除いてくださいました。わたしたちは、肉の体をもっていますが、霊によって生きるものとされたのです。もともと神より与えられた霊。正しいことを行うことへと導かれるものです。そこで、命を差し出してくださったキリストの霊が宿るとき、わたしたちの霊は、新しい命を得ることになります。

キリストへ自分を差し出していく「わたしはあなたのものです」

 十字架において、まずイエス様のほうが、「わたしはあなたのものである」と御自分の命を差し出してくださいました。この出来事は、さきにイエス様から差し出されているのですから、わたしたちはそれを受け取るだけでよいのです。受け取って、キリストの霊をお迎えし、キリストのものとなって生きる時、こんどは、わたしたちは「わたしはあなたのものです」と言いつつ、主なる神の御前に、すべてを差し出す歩みへと導かれていきます。それは、美しいこと、見栄えのいいこと、素敵なことばかりを差し出すものではありません。ときに罪に悩む姿、隠したい醜さ、素直になれない心、すべてを「わたしはあなたのものです」と差し出していくものです。その歩みの中で、わたしたちの霊が、新しい真実の命にされていきます。それが人生の歩みの中で、少しずつであっても確かに進められる、聖なるものへの歩みなのです。

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