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7月2日説教のポイント

「真の平和を語るために」

聖書 エレミヤ書第28章1~9節

                         伝道師 三輪恵愛

 

①全会衆を前にして預言者同士が対決。エレミヤとハナンヤの預言はどう違うのか?

 大きな国であったバビロン帝国から度重なる侵略を受け、南ユダ王国の運命は風前の灯でした。預言者ハナンヤはバビロン捕囚からの早期解放を「これは神の言葉である」と言って語ります。しかし本当は神の御心が不在の、人間的な願いにすぎませんでした。一方、エレミヤの預言は「バビロン捕囚は徹底的に行われる。しかし、その後の解放が約束されている」というものでした。なぜ主なる神様は南ユダ王国に厳しい預言を語られたのでしょうか。8節「あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。」バビロン帝国に従うこと、それは、神に従わなくなっていたユダ王国が通らなければならない悔い改めの道だったからです。

②「予言」それとも「預言」?「預言者」、聖書が定める職務の意義。

「予言」「預言」、二つの言葉があります。先に将来を見通すことが予言です。しかし神の御心を訊ねず勝手に語られる場合、将来の成就に向けてなにがなんでも実現させることは、神の御心に沿わないことがありえます。しかし「預言」と言うとき、それは神の言葉に聴き、預かってさらに語ること。そこには神への立ち帰りが優先されます。平和は人間の思いだけで成し遂げられるものではありません。神の御前に遜り、御言葉に聞いてこそ、神と人、人と人の和解が成り立つと聖書は語ります。そのために預言者は召し出されます。

③根源的でありながら日常的な平和の真実。教会は地道に語り続ける。

9節「主が遣わされた預言者」。神は人が立ち帰ることが出来るように、真の預言者を世に遣わしました(キリストの三職「王」「祭司」「預言者」)。キリストが預言者として語られた言葉は、人の罪を示し、それを認めて神へ立ち帰るための言葉でした。神との和解が果たされてこそ、日々の生活で平和に生きる者となります。その積み重ねが、世界への平和を語る源となります。昨今の平和に向けた運動が盛んであることです。しかし神不在の場合、ときとして暴力的、あるいは反知性的なものへと簡単に変化します。一方、神の恵みに活かされている人は、本質的なものを語ります。「真の平和を語るために」、神が定めたもうた日曜日に礼拝に集い、イエス・キリストのゆえに神との間には平和しかないことをいつも宣言され、世の中に遣わされる。日常において神の平和のもとに生きる人の姿こそ、すでに「真の平和」を語り始めているのです。

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