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8月9日祈祷会 士師記第三章12-31節

「 主は御心のままに人を用いられる 」

①士師記で語られる「信仰の定着」に至る歩み

前回は士師記の始まりということで、二つ、士師記の特徴を紹介しました。一つ目は、「歴史のなかで語られる預言」という点です。旧約聖書39巻を分類したとき、士師記は預言書に含まれるということに触れました。預言書のなかでも前預言書と呼ばれます。後預言書が、預言者一人ひとりの口を通して語られた言葉が記されていることに比べて、この前預言書は歴史を記すようにして、すでに起こされた神の救いを語ります。そのことによって、これから信仰者個人の信仰の歩み、あるいは共同体、すなわちわたしたちにしてみれば、教会の歩みに起こり得る救いの約束が予め語られているということになります。

今日も、まず士師記全体に関わることに触れたいと思っています。まず信仰の書物としての士師記の特徴からはいったところで、次に、イスラエルの外側、オリエントの世界との関係にも触れておきたいと思います。

聖書は、出エジプトのあたりから、イスラエルではない国の歴史とも関係性が明らかになり、西暦に置き換えて時代の流れを把握することがある程度、可能になってきます。士師記の時代は、サムエル記に記されているサウル王、またダビデ王の時代から逆算することで、ある程度の年代を定めることができます。ダビデ王が王座に就こうとするころがだいたい、紀元前1000年頃と言われます。士師記には、士師たちが活躍した年数が記されます。たとえば、今日読んだところでは、14節には「十八年間、モアブの王に仕え」とあり、30節には「八十年にわたって平穏」とあります。このように士師記に点在する年数を足していって、だいたい士師記の初めから終わりが何年間だったかという仕方で、年代を求めます。すると、紀元前1300年前後ではなかったか、という説が有力になってきます。

その頃のオリエントの状況は、エジプトの王朝が弱体化したころと重なります。また馬と鉄で大いに武力を誇ったヒッタイトが滅亡したころでもあります。そして、のちに台頭するアッシリア帝国は、この頃はまだいまのシリアの北方の小さな国でした。ですから、当時のパレスチナの周辺には大きな国がなく、支配が地方に分散していました。このことから言えることは、イスラエルにとっても、まだ王様による強い支配が望まれる状況ではなかったということです。それぞれの十二部族がカナンに定着するなかで、まず生活を整えていくこと。それが大切な課題でした。そういったなかで、永続的に一つの王家が全体を支配するのではなく、イスラエルが他民族との争いのなかで危機に陥るとき、暫定的に士師が立てられることで、危機から救われていたということがわかります。士師によって救われること、つまり、まだ民が王を要求する時代ではなかったこと、これは士師記を読んでいくときに大切なポイントとなります。士師記が「王制」に対してある程度批判的な視点を持っていることは、また後程、触れる機会を設けます。ひとまず、いまは士師記の時代は、王様によって支配される直前の時代ということだけ覚えておいてください。

では、イスラエルの民族にとっては、この士師記の時代はどういったものであったのでしょうか。旧約聖書の順番に従えば、出エジプト、ヨシュア記から士師記へと入るところです。エジプトから脱出し、荒野の旅路を終えて、ヨルダン川を渡って、ようやく約束の地に定着するところまできました。この出エジプトからヨシュア記を経て、士師記へと至る大きな流れが語っていることは、イスラエルという民が、約束の地へと導かれる救いの御業のなかで、神の民として信仰を養われているということです。はじめは、神様が立てたモーセによってイスラエルは導かれ、約束の土地手前まできました。次にヨシュアによってヨルダン川を渡って、約束の土地に定着します。そこまでのところで、イスラエルの民は主なる神様のみを礼拝する民として養われていきます。そして定着したところで、異民族とまじりあいながら生活することとなりました。これは、一つの信仰の歩みの現実性を描き出しているように思われます。

もし、これをある人の信仰生活に置き換えたら、どうなるでしょうか。罪に捕らわれていたことに気づいて、導かれながら荒野を旅します。これは神様との出会ったあと、神様に不平を漏らしてしまいながら、養われて信仰が定着するときへと歩む姿にかさなります。そうして、ヨルダン川という水をくぐって、約束の地で信仰の定着がはじまっていくこと。そのなかで、なかなか神様以外のものへ頼ることをやめきることができず、ときに他の神々に目を向けてしまう。そうして士師のような導き手によって再び立ち返る姿。これらは、わたしたち一人ひとりの信仰生活や、あるいは教会の歩みに重なるところがあります。ある人は、ヨルダン川を洗礼に譬えたようです。すなわちヨルダン川を渡るまでが、信仰に導かれるまでの人生。ヨルダン川という洗礼を受け、信仰的な立ち位置としての約束の地に住まうことになり、そのあとも、信仰の歩みのなかでたびたび神さまに背を向けてしまい、その都度、士師によって手助けを受けながら立ち帰ることの繰り返しです。

先週は、士師記に見る救いのサイクルというものをみていただきました。「背信」➡「苦難」➡「救済」➡「立ち帰り」というサイクルを回りながら、イスラエルは約束の地に定着していきます。こういったイスラエルに起きたことと、信仰者の歩みもまた重なるものがあるのではないか、士師記をそのように読んでいきますと、わたしたちもこういったサイクルを回りながら、信仰の戦いのなかで、徐々に、神様によって強められ、またさきだって戦ってくださる神様の守りの確信が強められていきます。このように考えながら、士師記を読むと、またわたしたち信仰者との関係性が強められ、ぐっと書かれてあることの現実性が増してくると思います。

②士師たち、オトニエル、エフド、シャムガル

 今日もある程度、士師記全体のことに触れてから御言葉の本分に入ることにしました。今日は第三章12節、小見出しではエフド、それからシャムガルという士師が出てまいりました。それから、1頁まえにはオトニエルという士師も出て来ました。今日だけで3人の士師について記されたところです。

 さきに言いますと、士師記には12人の士師が出て来ます。こちら一覧表をごらんください(図1:十二士師たち)。大士師六人と、小士師六人と分けられます。この大小の違いは、単純に触れられている聖書の記述の分量です。神様に立てられ、イスラエルの民族にたいして救いの御業を行うという点では全員同じです。ただし、詳しく記されている士師と、あっさりと、今日のところのシャムガルのようにたった一節で触れられて終わりという士師もいます。

 この図にあるように、それぞれの士師は出身部族がある程度確定しています。それを見ていきますと、十二部族から一人ずつ出ていることがわかってきます。

 大小十二の士師たちが十二部族から一人ずつ出ていることに示されていることは、なんでしょうか。今日、触れておきたいことは、十二部族に分かれていながら、イスラエルという一つの共同体に貢献する士師が神様によって立てられていること、またその働きは、多様なものがあるということだと思います。働きを記した分量によって大小と便宜上分けてはいますが、決して、それが士師の資質の優劣を示すわけではありません。神様が、イスラエルの危機に際して、救いを求める叫びを聞き、士師を立てるという点においては、変わりはありません。ただ、働きによっては詳しく記すことによって、そこにおいてしか語れない救いの預言がそこで語られていると受け取ることができます。

③エフド。右の手に障害を負った人。知恵を尽くす。いっぽうエグロン王の醜態

 今日は、エフドという人の働きがメインでした。一読していただいて、なかなか物語の描写が豊かなところだったと思います。エグロンというモアブの王に虐げられていたイスラエルを救うために、「救助者」、すなわち士師が立てられました。ちなみに、この「救助者」という言葉は、マーシャーといいますが、ヤーシャー、救うという言葉の変化形です。ヨシュアという名前は「ヤハウェは救い」という意味でしたが、その言葉と原型が同じです。

 この救助者として、主なる神様が立てたのが「左利きのエフド」です。この左利きという翻訳から、彼は単純にサウスポーなのかと考えてしまいます。そうではなく、これは「右に障害をもっている手の」というヘブライ語の言葉を意訳したものです。ですから、見るべきは、右手が不自由なために剣を抜くことができない、そういった人を神様は士師としてお立てになりました。けっして身体的な問題が神様の基準にはならないことの証拠と言えます。

「刃渡り1ゴメド」とありました。どれほどの長さかといいますと、これは新共同訳の巻末の付録には不明とされています。しかし英文のヘブライ語辞書には、キュビト、あるいはアンマと同じということが紹介されていました。つまり、肘から中指の先、約50センチです。ですから、剣というよりは、ダガー、長めのナイフといったところでしょう。彼はこれを上着に隠して、エグロン王に迫りました。そして、相手を油断させてスキを伺うのです。これは勇気のいることだったと思います。エフドは20節「神のお告げをもってきました」とも言います。ここでエグロン王は、神のお告げを一人で聞くために人払いをしました。エフドが一人であったこと、また右の手が不自由であることに安心したのかもしれません。エフドが隠していた得物が一閃し、暗殺は成功したのでした。

 さきほど士師記には王制に対する厳しい視点が示されているところがあるということに触れました。なぜ王制に厳しいか、という理由は、今日は保留にして後日、あらためて語りたいと思います。今日のところでは、どの点が王制への批判かということです。一つは、エグロン王が人を侮り油断するところ、また王の権力が強すぎて、危険を察知する賢い家来がいなかったこと、24節には、家来たちが部屋のなかでの暗殺を思い浮かぶこともできず、「王様は涼みながら用をたしているのだろう」などと、危機感なく勝手に解釈して、エフドを逃がしてしまう姿も描かれています。首尾よく役割を果たしてエフドは全軍を集結させ、イスラエルを救うべく、モアブを討伐したのでした。

 このエフドの英雄的な士師としての働きについて、全体的に言えることはさきほども触れたように、神様が救いのために立てられる人には、ただ神の御心のみが働くということです。またわたしたちの信仰生活でいえば、一見、エフドの右手のように、思うに任せないところが、じつは信仰の歩みを確かにするときに、大きな働きをすることがあるということです。

 明治期に活躍したある説教者は、吃音のハンディをもっていました。説教中、ところどころつっかえ、大勢に語ることが不得手であったそうです。しかしそれがゆえに聴き手に届けようとすることに励み、説教の内容を磨きに磨いたそうです。決して、爽やかな語り口調ではなかったとしても、誠実な内容が語られるなかで、多くの聴衆が説教に耳を傾けたと言います。神に立てられ、救いのために用いられる賜物は、一見人間の目には短所に見えるようなところであっても、長所として、大いに用いられることがあります。これも神の御業の不思議なところでもあり、また誰でも用いられるという慰めにみちた証しだと思います。

 このようにして士師記は、多様な背景をもった人々が士師として、神様に立てられ、それぞれ与えられた賜物をおおいに祝福されて、救いの業に用いられていきます。その様子を聖書に求めながら、わたしたちにも多くの豊かな賜物を与えられていることに感謝したいと思います。そうして、神様の救いの御業という、世にも輝かしい務めに、一緒に用いられていることを喜びつつ、歩んでいきたいと願うものです。今日はこれまでにいたします。

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