« 8月30日祈祷会 士師記第6章25-40節 | トップページ | 9月6日祈祷会 士師記第7章 »

9月3日説教のポイント

喜びの御言葉が聞こえる

聖書 エレミヤ書第15章15-21節

                         伝道師 三輪恵愛


①心が躍るほどの喜びの御言葉を聴いたエレミヤであったが・・・預言者の苦悩

 15節では預言者エレミヤが神様にたいして、訴えるようにして祈っています。そのあと16節では御言葉の喜びについて語っておりますが、このトーンが異なる15節と16節はいったいどうつながっているのでしょうか。エレミヤが生きていたイスラエルは、一握りの人が権力をほしいままにするため、支配力の源である異教の神々を崇拝していました。主なる神様への謙虚な思いと、日々の感謝が忘れ去られ、人間が互いに傲慢になるとき、昔も今もかわりなく、さまざまな形で、甦ってくるものです。エレミヤは預言者として、立ち返るようにと訴えます。かえってエレミヤは過酷な迫害を受け、孤独にさいなまれます。

②教会も、今の世にあって、「御言葉を語る」という預言者の職務を担う

  エレミヤの姿には、語る御言葉の喜びが聞かれないことがあり、無視され、またときには軽蔑され、あしざまに言われることもある、そういった教会がおかれた現実を思い起こさせます。御言葉の喜びは、知らずにいたほうがよかったのでしょうか、あるいは、その喜びは自分のものだけにして、置かれた世の中とはかかわりをもたずに過ごしたほうが良いということになるのでしょうか。主なる神はエレミヤに預言者としての務めを語ります。「もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする。」

③御言葉を聴いたときの心が躍るほどの喜びが、「彼ら」に語ろうとさせる

上記の訳をもとの言葉の意味を尊重して訳せば、このようになります。「あなたが、もともとの言葉から、純粋なものを取り出して語るなら」。御言葉の純粋なところを語っていくということ。「純粋なもの」と言われているものは、エレミヤの心が喜び躍ったように、現実の苦しみや不安のなかにあって、自分に向けられたものとしての御言葉が、意義深いものとして、人生を新しくするほどの力をもって迫ってきたものと言えます。喜びは、そもそも純粋な感情の発露です。御言葉の喜びを感じたところから、さらに語っていくときに、神様がまるでお語りになるようにして、御言葉の恵みを語ってくださるのでありましょう。16節にあるように、「御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました」と受け止めた、すべての人が語るものとされていくのということが、今日の御言葉からも明らかに示されているのです。 

« 8月30日祈祷会 士師記第6章25-40節 | トップページ | 9月6日祈祷会 士師記第7章 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 9月3日説教のポイント:

« 8月30日祈祷会 士師記第6章25-40節 | トップページ | 9月6日祈祷会 士師記第7章 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ