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10月8日説教のポイント

頑なな心を砕いてください

聖書 マタイによる福音書第21章33節‐46節

                         伝道師 三輪恵愛


 ①イエス様はたとえ話から祭司長やファリサイ派の人々になにを気づかせたのか?

多様な読み物が収められた「書物の百貨店」と言える聖書です。それぞれに合わせた読み方があります。福音書で多く語られるイエス様のたとえ話は、中心となっている事柄から考えていくと、なにを語ろうとしておられるのか、わかりやすくなるでしょう。ここでは、祭司長やファリサイ派の人々に、「農夫はあなたがただ」ということを気づかせようとされています。彼らはぶどう園で僕たちを殺し、主人の息子を殺そうとしている農夫が自分たちであることに気づきました(45節)。では、この農夫たちの姿に示されるところのどのあたりが、過ちとなっているのでしょうか?僕たちや主人の息子を殺したことでしょうか?どうもそれ以上のことをしているようです。それは、主人のぶどう園の実りを自分たちのものとしていることのようです。

②「悔い改め」を叫んだ洗礼者ヨハネ。彼の殺害に極まる「実りの横取り」

43節には「ふさわしい実を結ぶ」という言葉があり、そしてこのたとえ話の直前には、洗礼者ヨハネのことが話題になっていました。たとえ話に、主人から遣わされた預言者のモチーフ「僕たち」があるならば、そこに一本の線がつながっていきます。旧約の時代の預言者たちが迫害をうけながらも命をかけて語ってきたことは、頑なな心をすてて「悔い改める」こと、すなわち神様に「向き直る(悔い改めと訳されるギリシャ語「メタ・ノエオー」の意味)」ことでした。

③「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ことを妨げる、あらゆる自分への拘り

「悔い改め」を妨げる心について、狭く考えれば、それは祭司長やファリサイ派の人々の姿に表される傲慢な姿と言えます。もっと広く考えてみるとどうなるでしょう。「悔い改める」という日本語は強い意味を含んでいます。そこには、自分を顧みる「反省」の意味や、懺悔する「お詫び」の意味が含まれます。しかしここにとどまっていれば、やはり自分の在り方によって実りを期待する点で、祭司長やファリサイ派の人々と同じように、実りを横取りすることになりかねません。隅の親石に砕かれるとき、あらゆる自分へのこだわりはこなごなにされます。そこにぶどう園の主人が、豊かな「悔い改めにふさわしい実り」を結ばせてくださいます。「隅の親石」である十字架の主は、傲慢な心だけでなく、自分を卑下する心も砕かれました。砕かれた心にみ言葉が語られます。新しいものにかわっていく豊かな実りを喜ぼうではありませんか。

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