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9月24日説教のポイント

苦しみが恵みになるなんて

聖書 フィリピの信徒への手紙第1章21-30節

                         伝道師 三輪恵愛

①パウロが書いた「喜びの手紙」の全体の目的

 

一つの群れのなかに新しい人を迎えるとき、群れ全体が湛える雰囲気は、その人が腰を落ち着ける気持ちになるために大切な要素です。「喜びの手紙」と呼ばれるフィリピの信徒への手紙において、パウロは何度も繰り返し「喜び」という言葉を用いています。部分ではなく教会全体から、「キリストの福音に生きる」喜びが伝えられるように、心を砕いたことがうかがえます。驚くべきは、この手紙が捕らわれの身となっている牢獄のなかで書かれたものであることです。キリスト者が苛烈な迫害を受けるなかで、死と隣り合わせにありながら、殉教者(Martyr:証しをする人)として歩むことがキリストの証しとなった時代でした。「生きればキリストを伝えることが出来るが、死ぬこともまたキリストの証になる」と考えるパウロにとって、生と死は対立するものではなく、一つのことでした。「生と死」の板挟みにありながら、しかし彼は、フィリピの教会の人たちとともに「福音に生きる」ことを選ぶことを勧めています。そうして福音を聞いたものとして生きるとき、「苦しみも恵みになる」ことを伝えようとしています。

②「キリストの福音にふさわしい生活」が表す意味とは?

「喜びの教会」をたて上げようとすることが、この手紙の全体の目的であるならば、今日のところの部分的な目的は「苦しみも恵みとなる」ことについて語ることと言えるでしょう。そこで27節では「キリストの福音にふさわしい生活」という言葉を用いて、その生き方を進めています。しかしこの言葉にもまた、わたしたちは困難さを感じることが正直なところではないでしょうか。かつてピューリタンと呼ばれた改革派の流れをくむ人たちは、とにかく厳格なキリスト者としての生活を守りました。彼らはわたしたちの教派における先輩です。実行することのなんと難しいことかと思います。パウロは厳しさをここで勧めているのでしょうか?どうもそうではなさそうです。「ふさわしさ」と訳されている言葉は、もともと「(都市国家ポリスやローマ帝国市民として)生活する」という意味でした。つまり「福音を聞いたものとして生きる」とは、「イエス・キリストの十字架によって罪を赦された」福音に信頼し、喜びに生きることを意味します。

③日本においてキリストの救いに信頼して生きていく「苦しみと恵み」

  日本においてキリストの福音に生きる人たちは絶対的な少数者です。いろいろなところでわたしたちは「キリストの福音に生きなくてもいいじゃないか」という無言(ときには有言)の反論に囲まれています。こういった環境において信仰を守って生きることだけでも、苦しみが生じることはしばしばあるのではないでしょうか。「キリストの福音に生きる」ということだけでも、「キリストと共に苦しむ」ということを意識させられます。途中で投げ出すのではなく地上の生涯の終わりまでキリストの福音に生きることがすでに大きな証しとなっています。キリストの福音に生きる人にしか語れない言葉があり、わからない大きな喜びがあります。「苦しみが恵みに変わる」のは、人間の価値観の持ち方次第で変わるような曖昧なものではありません。世の初めから、神は救いを貫きとおしています。この喜びが教会全体から世に伝えられるように、喜びの教会を建てていこうではありませんか!

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