12月17日説教のポイント
「御業を成し遂げてください」
聖書 詩編第126章
伝道師 三輪恵愛
①「喜びの歌声」が高らかに捧げられるクリスマス。その喜びの源はどこに?
クリスマスに喜びの歌である讃美歌は欠かせません。翌週のキャンドルサービス礼拝、あるいはクリスマス礼拝では、誰もが喜ぶクリスマスの讃美歌がたくさん歌われます。どこの教会においても、この時期は喜んびの歌声をささげることです。さて、その喜びの源になるものはなんでしょう?曲が、歌声が美しいから?聞いてて心地よいから?それらもたしかに神様からの贈り物。けれども、その喜びにはきっと源になるものがあるはずです。いにしえの讃美歌である詩編126篇。この歌をエルサレムの神殿に上るときに歌った信仰者たちは「捕らわれ人が連れ帰られること」を祈り願いながら「喜びの歌」をささげていました。
②「わたしたちの捕らわれ人を連れ帰ってきてください」切実な祈りが実を結ぶ
この詩編をささげている人たちは、どうもすでに連れ帰ってきてもらった人たちのようです。しかし、まだ連れ帰ってきてもらっていない人がかの地に遺されています。バビロン捕囚の出来事は、イスラエルの民にとって神様の大きな御業が成し遂げられることを祈り願う時となりました。この歌を歌うとき、のちの教会も引き続き「罪に捕らわれている人たちを主が連れ帰ってくださる」願いを込めて捧げる賛美となっていきます。いま、わたしたちも、この礼拝に「連れ帰ってきてほしい」と願う多くの同胞が遺されていることを思い起こします。
③「涙とともに種を蒔くこと」しかできない、だからこそ「喜びの歌」を主にささげる
5、6節は伝道の真実を語るときによく引用されます。わたしたちにとって伝道の御業の実際は、主に委ねながらも、「涙とともに種を蒔き」「泣きながら種を背負う」ことの繰り返し。実るかどうかは神様に委ねるよりほかない、まことに頼りない業なのです。しかしだからこそ、連れ帰ってきてくださるお方は主ご自身であり、実りを与えてくださるのは主の御業!この御業に信頼し、仕えたものとして、心から喜びの歌をささげることでしょう。なによりも、主なる神様が唯一のみ言葉の種であるイエス・キリストを、クリスマスにわたしたちにお与えくださいました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」。わたしたちもその実りです。さらには、これからもその豊かな実りを収穫することとなるように!一年の伝道を振り返りつつ、喜びの歌を、神様とともに歌い上げるクリスマスとなりますように。
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