« 12月20日祈祷会 サムエル記上第3章1-第4章1節 | トップページ | 1月1日元旦礼拝 »

12月27日祈祷会 サムエル記上第4章

「 御言葉への重みを回復されるために 」

第三章では、幼いサムエルが主の言葉を聞きとるところが記されていました。主の御声が聞こえる喜ばしい出来事かと思いきや、サムエルがはじめて聞いた神の声は裁きが下るというものでした。それほどに、エリの息子二人の背信行為は罪深いものであったわけです。今日読んだところはペリシテとの戦いがテーマになっていました。イスラエルは手痛い敗北を味わいます。そして戦いのなかで、ホフニとピネハスは命を落とします。さらにエリが死に、主の契約の箱はペリシテに奪われていきました。エリの家だけでなく、イスラエル全体にとって大変な出来事になったわけです。

ここで問われることは、エリの息子二人の背信と、ペリシテにイスラエルが敗北することは、どのように関係するかという点です。サムエルに主が、「エリの家への裁きをくだす」と言われた以上、イスラエルの敗北と主の契約の箱が奪われることは、その結果であることは間違いないことのようです。それにしてもなぜ、裁きはエリの家にとどまらず、イスラエル全体に及んだのか。裁きによって、主は何を伝えようとしているか、この点に注目しつつ、読み深めていきたいと思います。

①第41節の解釈問題「サムエルの言葉」はペリシテ戦に影響したのか?➡した。

 まず出だしの1節です。サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、」。文章は途中ですが、ここまで1節です。

 この1節、新共同訳は、御覧の通り、前半と後半を分けて、その間に行間と段落をもうけています。すこし体裁が中途半端になっています。なぜ、このように訳したのでしょうか。

 1節を前半と後半に分けるか、否か。これは解釈上の問題とされているようです。新共同訳は、かつての口語訳と比べて変わったところと言えば、このように小見出しをもうけて、行間を開けるという、一つの解釈を取り入れたことでした。前回は新共同訳の解釈に従って、1節の前半を第3章に続くものとして読みました。そうすると、「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。」という言葉は、預言者として成長したサムエルの語る言葉が広がっていったというように読み取られます。ところが、今日のように、きちんと章立てに従って読む仕方。つまり、小見出しや行間にとらわれず読むと、「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、」と、サムエルの言葉によって、イスラエルは、ペリシテとの戦いに挑んだようにも読み取れます。

 1節を分けて読むか、続けて読むか、どちらが正しか。どちらもある程度の説得力があります。今日、一つの手がかりにしたい読み方は、1節をわけずに読む仕方です。そうすると、「サムエルの言葉が全イスラエルに及んだ」ことで、全イスラエルは、主のみ言葉と栄光に信頼し、異民族であるペリシテに戦いを挑んだという読み方になります。

 そうすると、まずペリシテとの戦いがはじまり、緒戦でイスラエルは打ち負かされました。そこで長老たちは、「契約の箱」を、戦場に持ち出すことにしました。さて、ここまでは問題ないとして、そこにエリの息子二人がともにしたがってきています。さっするに、彼ら二人の神殿における背信行為。すなわち、主の契約の箱に納められているみ言葉への立ち返りはないままに従ってきたと思われます。

ここで思い出していただきたいのは、第三章での主がサムエルに語った言葉のなかに、エリがホフニとピネハスの「神を汚す行為をとがめなかった」、つまり、そのままにしておいたことが咎められていることです。第二章ではホフニとピネハスの神殿での神を汚す行為が、おおっぴらになされていたとも記されていました。エリには当然のこと、長老たちや、イスラエルにも公然のこととされていたわけです。それにも関わらず、ペリシテとの戦さに負けたことで、「主の契約の箱」を持ち出すことにしました。

②悔い改めないままの「主のみ言葉への過度の信頼」は偶像崇拝

 さて、主の契約の箱が到着し、全イスラエルは大歓声をあげます。しかしここに、主を汚しつづけたホフニとピネハスがともに来たことについて事柄を糺す声はありません。ここには、ただ「主の契約の箱」という存在があれば良いという態度が表れています。ホフニとピネハスの背信行為と、それを悔い改めることのない姿、また長老たちが「主の契約の箱」を軽軽に持ち出し、全イスラエルは、ただ「箱」がきただけで喜ぶ姿。これらを総合的に考えると、このときの全イスラエルは、主のみ言葉そのものへの畏れではなく、ただ「箱」があればよいという、偶像礼拝に陥っていたことを示していることが浮き上がってきます。

「主の契約の箱」に入れられているものは律法。それは、主がイスラエルの民に、主に従って祝福の道を歩むようにとの歩き方を示したものでした。ところが、この「箱」に近くにおり、もっとも厳しくそれに従うべきものが、それに背いていました。そして、周囲の人たちも、それをとがめませんでした。ここに、主のみ言葉そのものに聞いて、誠実に従うのではなく、ないがしろにして、物だけあれば、主が味方についてくれるという、緊張感のない信仰の態度が見受けられます。

 これに対して、ペリシテは大いに「契約の箱」の到着に恐れをいただきますが、これが一致団結をもたらし、かえってペリシテは必死になって戦うのでした。御言葉を、畏れをもって聞くのではなく、ただ「契約の箱」の存在に頼るような信仰では、難敵であるペリシテに勝つことができなかったと言えます。己の行いを悔いることもなく、まるで主が傍らにいないような態度でいつづけたホフニとピネハスは、命を落とすことになりました。

③エリの死、嫁の陣痛、痛みを伴う「神の箱」の捕囚

 第四章の後半は、エリの死と、ピネハスの妻の出産が記されます。エリにとっては、二人の息子の死以上に衝撃だったのは「神の箱が奪われた」という恐ろしい知らせでした。それはピネハスの妻にとっても同じだったようです。19節と21節では「神の箱が奪われ」たことで、陣痛が起き、男児を出産しながらも心に留めなったのは「神の箱が奪われ」からであると記されていました。

 この男児は「イカボド」と名付けられました。括弧にある「栄光は失われた」という訳はヘブライ語本文にはなく、名前の意味を理解するために加えられたものです。「イ」という接頭辞と「カーボード」という名詞からなる言葉です。「イー」という言葉は、「どこに?」という場所を問う疑問詞「アーイェー」という言葉からきたものです。また、「栄光」という言葉は「主の栄光」と同時に、「重み」という意味も持ちます。神の箱が奪われたという出来事は、ピネハスの妻が言うように、「イスラエルから主の栄光が去った」出来事でした。これは「主のみ言葉の重みはどこにいったのか」と嘆くような意味も含むものとして理解すると、ホフニとピネハスの背信から続く一連の出来事とのつながりがより深められるかもしれません。

 このとき、主の契約の言葉が記された箱に仕える者たちは悔い改めることなく、御言葉の重みが失われておりました。周囲のものもそれをとがめることなく、ただ「主の契約の箱」だけをかしらにいただけば、物事がうまくいくと思い込んでいたイスラエルの人たちです。ところが神ご自身が、この契約の箱をペリシテに奪われるがままにして、ホフニとピネハス、エリだけでなく、イスラエル全体に、この事態を重く受け止めるように促します。

今日のまとめです。結果的に、サムエルの預言は、エリの一族だけでなく信仰共同体全体に及びました。それは「契約の箱」という存在だけに頼る、御言葉にたいする偶像崇拝的な理解をもっていたイスラエルを、あらためさせるために起こされた御業でした。このとき主ご自身も、「契約の箱」をペリシテにいったん手放すという痛みを負われます。

ここで心に留めておきたいことは、神の言葉への信頼と栄光に回帰させるため、主ご自身が神の箱をいったん手放したということです。わたしたちは先だって心からのクリスマスのお祝いを喜びました。クリスマスでも月が満ちて男の子が生まれました。主の御許にありながら、御言葉への信頼と栄光のためにわたしたちのもとにきてくださり、痛みと重みを担ってくださったことをあらためて思い起こすときでもあります。いま、わたしたちには主のみ言葉の裁きがあるにしても、わたしたちに担いきれない十字架はなくなりました。主がまず背負ってくださったから。裁きの後、立ち返ったものに神の栄光は戻ってまいります。

このペリシテに奪われた神の箱もこの先を読んでいきますと、けっして奪われたままにはならず、なぜ主がそうなされたか、読み進めることで御心が明らかになっていくようです。今日は、こういった次第で「契約の箱」が奪われた出来事を心に留めつつ閉じたいと思います。

« 12月20日祈祷会 サムエル記上第3章1-第4章1節 | トップページ | 1月1日元旦礼拝 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 12月27日祈祷会 サムエル記上第4章:

« 12月20日祈祷会 サムエル記上第3章1-第4章1節 | トップページ | 1月1日元旦礼拝 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ