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12月31日説教のポイント

神の子たちは解放された

聖書 ガラテヤの信徒への手紙第3章29節—第4章7節

       伝道師 三輪恵愛


①「律法」はわたしたちを苦しめる「悪役」?否、未熟な信仰の「養育係」

 イエス・キリストの信仰を与えられたものは「信じることで義とされる」、このガラテヤ書ではパウロはとくにそのことを強調します。かのルターもその点において本書を重要視しました。5節「律法の支配下にある者を贖い出して」、あたかもわたしたちを縛り付けるもののように書かれます。しかし律法は本来、決してわたしたちを苦しめるものではありません。「神の救いの約束」にとどまるためのガイドラインを示すものです。パウロは「養育係」という言葉を用いて、律法が人をキリストへ導く効能も合わせて説いています。

②「アブラハムの子孫」である私たちは神様の約束の相続人

 わたしたちの信仰の先祖であるアブラハムは、神様より一方的に恵みの約束を与えられました。「子孫を星の数ほど増やす」との約束とおり、神様はアブラハムの子孫であるわたしたちを恵みの相続人としてくださったのです。パウロは「未成年」「後見人」「管理人」などの一般的な言葉を用いて、わたしたちがかつて罪の支配のもとにいたことを思い起こさせます。たしかに律法があってこそ、罪の恐ろしさを教えられるものです。そして、いまやキリストの信仰をもつ者は、未成年から成熟したものとして贖い出されたと語ります。

③『律法に照らして「Yes」か「No」か』という短絡的な支配からの解放

クリスマスは、キリストが霊として来てくださったことを祝う象徴的な礼拝でもあります。すでに信じて救われたとしても、繰り返し毎年クリスマスをお祝いするなかで、今も生ける霊として宿ってくださるお方を覚えます。律法のみで義とされる道を歩むことは、つねに物事を律法に照らして「YesNoか」を判断する「決疑論」的な信仰理解を保たねばなりません。しかし世の中は「Yes」と「No」の間に線を引けるほどに単純でしょうか?神様の目には明らかにお分かりになる善悪であっても、わたしたち未熟な神の子たちにとっては複雑混沌とした今の世の中。快刀乱麻を断つように歩んでいくことは難しいものです。ときに道を見失ってしまいそうなとき、「Yes」か「No」かの判断の前に、「アッバ(お父ちゃん)、父よ!」と、神様を親しく呼び、委ねることが出来るキリストの霊が与えられていることに気づかされます。地上にお生まれになっただけでなく、キリストの霊としてわたしどもの内側にも宿ってくださったお方が、祝福の内側にとどまらせ、約束の相続人としてくださいました。新年もはつらつとした生きた信仰を、養われていきたいと願います。

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