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4月15日説教のポイント

「神、わたしたちと共に」

聖書 イザヤ書第710-14

       伝道師 三輪恵愛

1.復活節に受胎告知の「インマヌエル」を思い起こす

教会暦に沿うならば復活節に相応しいところが選ばれるはずですが、今日はインマヌエル預言の御言葉が与えられました。イエス様は母マリアに宿り、わたしたちと同じく“十月十日”を経てお生まれになります。今年は411日が受胎告知の日でした。この日は必ず復活節に重なります。アドヴェントに聞かれることの多いインマヌエルの御名前は、このように復活節にも思い起こす機会を持ちます。「インマヌエル様!」と呼びかけられることはなかったイエス様ですが、このお方がインマヌエル預言の成就である以上、そこに御心が隠されているように思えます。

2.アハズ王の応えは正しい?「求める」ことと「試すこと」

インマヌエルのことが語られたのは、イエス・キリストがお生まれになる700年以上も前のこと。その時の状況が御心を訊ねるきっかけになります。南ユダ王国は、北イスラエル(エフライム)王国とアラム(シリア)の同盟によって攻め込まれる危機にさらされていました。イザヤはアハズ王のもとに遣わされ「南ユダ王国は神様に守られているから大丈夫、落ち着いていなさい」と告げます。そして「しるしを求めなさい(11)とも告げますが、アハズ王は「わたしは求めない。主を試すようなことはしない(12)と答えます。彼の口ぶりはいかにも信仰的に聞こえますが・・・。イザヤはアハズ王の助けを求めない態度が「もどかしい」と語ります。

3.頑なな心を溶かす「神がわたしたちと共に」おられる“しるし”

 アハズ王の頑なな心は無理もないことかもしれません。彼にはエルサレム市民を守る責任がありました。国民が不安を募らせる中で真っ先に向かったのは「上貯水池(3)」。生活用水を確保するためでした。市民を守るため、危機を自力で乗り越えようとする意志を感じます。「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない(4)」「(北王国の企ては)実現せず、成就しない(7)と言われても信頼せず、しるしを求めません。しかしその姿が「もどかしい」のです。「必ず守る」と言われる主に信頼を求めない。そのもどかしさを突き抜けて、神はインマヌエルを“しるし”となさったのです。「守っている、大丈夫」と言われても信じがたく、自力で解決しようと試みることの多いことです。そのなかにあって、語りかけられた神よりの言葉は内側にやどり、少しずつ大きくなっていきます。イエス様の誕生も、復活の出来事を伝える弟子たちも、はじめは小さな神の御業の現れでした。そこからインマヌエルのしるしへと育っていったのです。「神はわたしたちと共にいる」、このしるしを求めることを神はもどかしさのなかで願っておられるのです。

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