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4月22日説教のポイント

「その名が置かれるところ」

聖書 使徒言行録第45-12

       伝道師 三輪恵愛

1.聖霊の働きは特殊?言葉と行いは日常生活のなかで

ペトロとヨハネによる「イエス・キリストの名を伝えること」は大祭司たちにとって脅威でした。彼らは議会の真ん中に立ち、問われています。「誰の名によって、誰の権威で、なにをしたのか」。8「ペトロは聖霊に満たされて言った」。あのペトロが、彼らを十字架につけることもできる大祭司たちを前にして堂々と語ることが出来たのは、聖霊の働きだと聖書は証しします。日常生活のなかで「聖霊に満たされた!」と実感できることがあれば心強いことです。しかし聖書は、聖霊の働きの特殊な点に注目せず、「イエスは主である」と告白することに重きを置きます。この御名前によって、語り、また行うとき、身近なことであっても、充分に聖霊の働きによるものだと語ります。ペトロの証言も、大祭司たちを前に大胆なことに思えますが、意味するところは「イエス・キリストの名前が救いである」というものです。

2.ペトロの信仰の告白から「隅の親石に支えられるわたしたちの信仰」

「イエス・キリストの御名前によって」、日々を歩めば、確かに聖霊の働きによってキリストが共におられることを感じ、その記憶は強く残るでしょう。しかし現実は難しいものがあります。そこでペトロは11「この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。と詩編118篇を引用します。これは大祭司たちが十字架にかけたキリストが復活して救い主になってくださったことを示す言葉です。同時に、ペトロたち自身も、かつてはイエス様から逃げ出し、その御名前を「知らない!」と否定したことを認めています。そのような彼らを神は赦し、キリストの名を語るものに造り替えました。「隅の親石」は、深いところを支えるもの。時には支えられていることを忘れるほどです。忘れられることがあっても支えることをお止めにならないのが「イエス・キリストの名」なのです。

3. キリストの名が置かれた教会に結ばれながら歩む信仰

「あなたたちは何を語り、何をしているのですか」、と問われるとき、理屈による説明ではなく「キリストの名によって」とわたしたちは応えることができるでしょう。「隅の親石」に支えられながら、言葉を語り、なにかを行う日々の積み重ねです。ことの大小ではなく、キリストの名によって救われた人が、何をする人になっていくのか。神を愛し、人を愛する人に造り替えられていくことが、信仰による救いです。わたしたちは、キリストの名が置かれた教会において、神を愛し、人を愛する交わりを重ねていきます。どうぞ「隅の親石」が、深いところから支えてくださっている教会につながりつつ、キリストの御名前に大いに信頼し、歩まれますように。

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