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4月29日説教のポイント

「貧しさを知ればこそ」

聖書 詩編第2225-32

       伝道師 三輪恵愛

1.苦しみを叫んでいた詩編第22篇が賛美と希望の歌へ

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」。十字架のうえでイエス・キリストは、詩編第222節によって苦しみを叫んだかのようでした。「神から見捨てられるほどの苦しみ」を感じている詩人が、もともとこの歌を歌いました。しかし今日与えられている結びのところは、救いの確信と明るい希望に満ちています。「貧しい人(直訳すると“苦しみを苦しむ人”)」と言う言葉には、経済的あるいは精神的なもの、あらゆる苦しみが含められています。27節の救われた詩人の賛美の歌声には、食べて満ち足り、また健やかな命も与えられ、すべての救われた人の喜びが歌い込まれています。

2.「貧しさを知ればこそ」、救いの確信は隣人の救いへと向かう

すべて救われた人の喜びを歌い上げる詩人は、それゆえ救いの多様な在り方については詳しく語りません。賛美の歌声は、「貧しい人の苦しみを侮らず」「助けを求める叫びを聞いてくださる」、主なる神様へまっすぐ向かっています。食べることを満たされ、健やかな命を与えられたのは、彼が大いなる集会に招かれたからでした。食べることにしても、心の苦しみを共に担いあうにしても、それは一人で出来ることではありませんでした。救われた詩人は自らの救いを顧みながら、すべての人が救われるようにと祈り始めます。今の時代に召された「大いなる集会(礼拝、会衆とも訳される言葉)」である教会も、救われた人が、次は救いの御業に関わる人へと新しくされていきます。救われる前の「貧しさ」を知っていればこそ、隣人の苦しみを見過ごすことができません。大都会で路上生活者に炊き出しを行っている教会で、救われた人が信仰を持ち、活動に加わることがあると伺いました。自らの救いの確信が、隣人の救いへと向かっています。この詩人も、わが身に起こった救いが、世界に、そして新しい世代に広がることを祈り願っています。

3.救いが完成される日までキリストの教会は恵みの御業を語り伝える

こうして苦しみを訴える叫びではじまる詩編第22篇は、成し遂げられた恵みの御業によって、新しい世代にも語り継がれる希望の歌として結ばれていきます。キリストは塵に降るばかりであった人の苦しみを知り、御自分の健やかな命を与えてくださいました。すでに救われているからこそ、隣人の貧しさの傍らにいることのできる教会は、救いの完成まで世にあり続けます。キリストの十字架が復活を成し遂げたように、新しい世代が健やかな命に生かされるために、かつての貧しさを知ればこそ、その苦しみは神によって聖別され、豊かに用いられることとなるでしょう。

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