5月20日説教のポイント
「潜り戸の先には」
聖書 使徒言行録第2章14-21節
伝道師 三輪恵愛
「教会の誕生日」と言われる聖霊降臨祭、ペンテコステ(ギリシャ語で「50」)を迎えることとなりました。過ぎ越しの祭りから7週目にあたるその日は、十字架の日から50日目でもあります。この日、使徒たちに聖霊が降りました。ペトロはヨエル書から説教をはじめます。「神は言われる、わたしの霊を注ぐ」と記される御言葉は、聖霊ご自身が御自分のことについて、ペトロの口を通して語ろうとするものでした。
1.聖霊は父と子の御心を伝える神(17,18節「預言」)
「息子、娘、若者、老人」、いろんな人が預言しています。「預言」とはもともと、神ご自身が語られる言葉を、霊の働きによって人が語ることを示す言葉です。「神の言を預かる」ということなので、畏れ多く特別なことのように思えます。しかし神は人に聖霊を注ぎ、語る仕方を選ばれました。人が勝手に語るのではなく、語られた言葉を聞いて、また語り伝えます。ペトロも自分の考えを語ったのではなく、まず聖書を語りました。彼自身が聞いたことです。聞いたときに働き、理解するときに働き、語り直すときに働くのが、神ご自身が語る聖霊です。
2.聖霊はイエス様を救い主と証しする(21節「主の名を呼ぶものは皆、救われる」)
神の言葉を預かる預言ですから、なにを語っても良いと言うものではありません。教会は言葉を聞き、また語りながら、誰が救い主であるかを語り続けてきました。「主の名」とだけ預言が語るのは、それが誰なのかを証しをするためです。神がわたしたちと同じ人となってくださり、罪を背負う十字架の死と、復活による赦しを成し遂げてくださいました。救い主の証しはその真実に集中しています。誰が救い主なのか、忘れないように、変わらないように、繰り返し思い出すために。これがわたしたちにとっての救いなのです。
3.聖霊は群れを建て上げ、証しを語らせる(14節「ペトロと十一人は立って」)
聖霊はイエス・キリストを証しする言葉を語らせ、同じお方を信じる人を建て上げ、群れにしていきます。ペトロと十一人たちはイエス様と一緒にいるときですら、互いにいがみあうほどの異なる考えをもっていました。聖霊は、それぞれの人の違いを乗り越えて、イエス・キリストを語るために共に働く群れを起こします。
「主の名を呼ぶ」ために、聖霊は人を神の御前に低くさせ、高き所を仰がせます。
終わりの時、神様との永遠の交わるところにくぐる戸口は「狭い門」と言われます。しかし聖霊が導く礼拝のたびに、わたしたちは神様の御前に身を低めて、イエス・キリストの真実を誉め讃えます。生きているうちに、神との交わりの場を先取りすることができる礼拝は、救いを確かなものと信じさせてくれる場所なのです。
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