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5月27日説教のポイント

「赦しは聖なる方から」

聖書 イザヤ書第61-8

       伝道師 三輪恵愛

1.「災いだ。わたしは滅ぼされる」、赦しに至る罪の告白

あの預言者の代表とも言えるイザヤが自らの罪を告白しています。彼がはじめに仕えることとなったウジヤ王は、はじめは信仰的な人でユダ王国を良く治めていました。しかし晩年、神を軽んじ神殿から追放されます。唇は神を誉め、愛を美しく囁き、真実を語ります。しかし同じ唇で人を軽んじ、嘘をつき、神を畏れぬ言葉を語ります。ウジヤ王が神を軽んじて死んだことにより、王国は再び混乱します。預言の言葉が虚しく響く世の中で、イザヤ自身も己の罪の所在に気が付いたのでしょう。しかし自身の罪の所在に気づくことが赦しの第一歩です。病に気づけば治療すれば良いように、罪に気づけば、神が赦しに導いてくださいます。

2.「イザヤの再召命」赦されたからこそ、向き直って新しく歩み出す

「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された(7節)イザヤの罪の赦しは、彼に預言者として新しく歩み始める大切な転機となりました。彼はそれまでウジヤ王の庇護のもと、神の裁きを語っていました。しかし彼自身の、内在する罪の自覚がまだ済んでいなかったのです。罪を自覚し、聖なるお方の赦しに与り、彼はまことの命の用いどころに気づいていきます。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください(8)預言者としての使命の復活です。神の赦しがイザヤの人生を新しくしています。人は自分の判断である程度の正しいことは言えますし、行えるでしょう。しかしその正しさの拠り所はどこにあるのでしょうか。神の御前に罪を認め、赦された人は新しい命を得ます。赦されたことに立場を得るのです。そして裁く人から、赦しを語る人へと変えられていきます。

3.信仰は罪の赦しの恵み深さからはじまる

今日の御言葉の次第はどうなっているでしょうか。「神の臨在への招き」➡「自身の罪の告白と嘆き」➡「無条件の赦し」➡「召命」➡「働き場へ派遣」。これは、わたしたち改革派が大切にする礼拝の順序に重なります。イザヤは「唇が穢れている、滅びる!」と叫びます。そこに天の高きから舞い降りてきたのは、一人のセラフィム、神の言を語るものでした。彼の方からイザヤへと近づき、なんの見返りも求めず、赦しを宣言します。わたしたちの神は赦しのために見返りを求めるお方ではありません。金品、修行はもちろん、悔い改めすら求めません赦されたからこそ、喜びのうちに悔い改めることができるのです。人が罪の前に無力だからこそ、神の側から降りてきてくださったのが十字架の救い主イエス・キリストなのですから。礼拝において罪赦された幸いなる人は、新しい命を得、生活へと遣わされていくのです。

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