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6月17日説教のポイント

「いつも心に喜びを」

聖書 コリントの信徒への手紙二第51-10

       伝道師 三輪恵愛

1.パウロたちに反対する者たちが主張する「福音からの逆行」

コリントの教会に宛てて二通も手紙が書かれている理由は、たびたび生じる教会の問題に対応するためでした。大都会コリントに建てられた教会には多くの人が招かれ、キリストの福音によって救いの道を歩みだしたことです。ところがパウロが証しするイエス・キリストの福音に賛同できない人々がいました。彼らユダヤ教からの改宗者は「キリストを信じるだけで救われる」と説くパウロの福音に信頼できません。反対者たちは、最後の裁きで「正しい」と宣言されるために、善行を積みかさねる必要があることを主張します。善い行いは確かに神様に祝福されるものです。それが救いの保証になるかどうかが、パウロと反対者の論争の焦点でした。

2.キリストの霊を与えられたからこそ知る「苦しみ」「重荷、うめき」

10節を読む限り、パウロも生前の善行が裁きの座の前に立つときの基準になると語っているように聞こえます。これではパウロが言っていることと、反対者の言うことが同じことになります。パウロは地上での歩みは「苦しみもだえる(2)もので「重荷にうめく(4)ものでもあると言います。キリストを信じるものとなり、御心に適うものでありたいと願うとき、しばしばわたしたちは信仰上の挫折を味わいます。またキリストを信じればこそ気づかされる世の罪に悲しみます。信仰の歩みの、あまり喜ばしいと思えない現実をパウロは隠さず語ったうえで、しかしそれは「わたしたちをこのようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として、“霊”を与えてくださったのです。(5)と説き明かします。つまりキリストの唯一の救いを信じ、そのお方の霊を与えられたからこそ、御心にかなわない現実の歩みを悲しみ、世の罪に気づかされるのだというのです。そうして地上の歩みをキリストのゆえに前向きに捉えるようにキリストが共にいることは「心強い」「主に喜ばれるように」歩もう!と励ましています。

3.すでにともにいてくださる救い主が裁き主キリストと同じお方である平安

 信仰があればこそ知る痛みあり、苦しみあり、うめきの声をあげることがあり、それゆえ間違いなく「天の永遠の住みか」を与えられるとパウロは証ししています。信仰の歩みの中でしか知ることがなかった「善」あり「悪」あり、それは裁きの座にあるお方にすでに知られていることです。しかしそのお方が、いま共に歩んでくださっておられる救い主キリストなのです。善い行いの積み重ねが救いの保証になることはありません。それはキリストの霊があればこそ行うことができる神の業の一つです。天の住みかの保証は信じた時、すでに“霊”として与えられているのです。

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