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6月24日説教のポイント

「語り合う祝福へ」

聖書 ヨブ記第381-11

       伝道師 三輪恵愛

1.ヨブの叫びと神の沈黙。そして論議の果てに、何も語れなくなった人の姿

「信仰者であれば苦しみから救われ、人生を守られる」と期待を抱き、信仰をもちたいと願うこともあるでしょう。たしかにキリストの福音は救い主の姿を示しながら「信じることによって救われる」ことを語り継いできました。ところがヨブ記は救いへの期待に大きな揺さぶりをかけてきます。「まったく正しい人ヨブ」が突然苦しみに見舞われます。神は沈黙して語らず、ヨブは友人たちの論議のなかで、「正しい人であれば災いから守られる」という宗教観を壊されていきます。今日の御言葉は、長い沈黙を破って神がヨブに語り出すところのものでした。神は、ヨブの叫ぶような問いにたいして、さらに問いをかぶせておられるようです。確かに神は創造主ですが、問いのどこにヨブの救いがあるのか、さらに戸惑うところです。

2.神はヨブに語り始めるが・・・なおヨブ記を越えて、新約に遺された問い

「わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」「知っていたというなら、理解していることを言ってみよ」ヨブは神からの問いにまったく応えられません。しかも傷ついていたはずのヨブは、この神からの問いかけでまるで正気を取り戻したように再び立ち直ります。「神の語りかけが人を立ち直らせるのだろうか」。災いを受ける前以上に豊かになり長寿を保って死んだヨブの生涯は、幸福には思えます。しかしヨブには「なぜ災いを受けなければならなかったのか」という理由は最後まで知らされません。ヨブ記だけでは、なお読む者に問いを遺し続けるでしょう。「神が語りかけることで、なぜヨブは救われたのか。誰にでも起こることなのか」と。

3.「義人も苦難を負う」意味を、現実の姿で示す真の神人イエス・キリスト

 ヨブの生涯を通して示されたことは、神を信じる人にも苦難や試練があるという厳しい現実です。そのうえで新約聖書と共に読まれるとき、神がその人と語り合う関わりに導こうとされる御心を示されていきます。いわれのない苦しみの理由を問う人たちに、「神の業がこの人に現されるためである(ヨハ9:3)とイエス様は語られました。救い主との関わりのなかで、人々は苦しみが無意味なものではなく、むしろそこに神に結ばれている絆を見出し回復していきます。キリストも正しい人でありながら、ヨブ以上の苦難を受けたお方でした。神に苦しみを訴え、最後まで神と語り合う関係を示し復活されました。このお方の姿ゆえに、わたしたちは神に苦しみを訴え、それゆえ生涯が創造主である神の御手のうちに置かれていることを知らされます。苦しい時にこそ信頼するお方とともにありたいと願うわたしたちともに、神はキリストを通して語り合う祝福へと、わたしたちと招いておられます。

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