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7月1日説教のポイント

「触れたのは誰?」

聖書 マルコによる福音書第521-34

       伝道師 三輪恵愛

1.イエス・キリストの名のもとに集まる人々が示す、信仰のそれぞれの姿

神の国の福音を宣べ伝え、病者を癒し、悪霊を追い払うイエス・キリストの御名前はたちまちガリラヤ湖畔中に広まりました。大勢の群衆が押し迫ってくるなかで、それぞれの信仰の在り方を遺した人々が描かれています。「差し当たり求めるものはないけれど、イエスというお方の言葉を聞きたい、なさることを見たい」人々。群衆になってイエス様の後を追います。「愛する人の命の危険に、我を忘れてイエス様の足元にひれ伏す人」会堂長ヤイロ。そして「長年期待を裏切られながらも、希望を追い求めてイエスというお方に後ろから近づく人」長く病に苦しんでいた若い女の人です。「群衆に紛れながら」イエス様の服にでも触れれば治ると期待しています。

2.願いは達成されたのだけれども、それではまだ足りない「見回すイエス様」

この女性が期待していた通りのことが起きました!イエス様の力は、その女性の体を内側から癒していきます。長年、苦しめられていた病はこうして癒されました。もう、イエス様の後を追う必要はありません。また群衆の一人に紛れて、離れていけばいいのですが・・・。ところが、イエス様はそれではなにかが足りないご様子です。「誰がわたしに触れたのか」とあたりを見回しています。若い女性の方はと言えば、「自分の身に起こったことを知って恐ろしくなって、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのままに話し」ます。イエス様に触れたとき、内側で起きた彼女にしかわからない不思議な力は、存在を新しくする、神の恐るべき力でした。

3.もう群衆には戻らせない!救いの宣言に励まされて生きる信仰へ

 イエス様が見回しておられたのは、その人にこの宣言を伝えるためでした。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」ひとときの慰めや、癒しで満足するのではなく、神の言の力による救いを宣言するためです!群衆に紛れながら後ろのほうから近づいて、すっと触れてまた群衆に紛れれば、そのときは十分かもしれません。しかし確かめるべきは、内側に起こった神の力がどうして働いたのかということです。「安心して行きなさい、元気に暮らしなさい」あなたへの救いの宣言が、その後の歩みをも守り続けるのです。大勢の群衆のようにキリストの名に期待して後を歩むものあり、会堂長ヤイロのように足元にひれ伏して救いを乞う時もあり。この娘さんのように、御言葉の力によって造り替えられ、畏れをいだいてからひれ伏すこともあり、さまざまです。神の言の力を知ってひれ伏すとき、すでに救い主は「触れたのは誰?」と見回しておられたことをわたしたちは知るのでしょう。救いの宣言を聞きながら!

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