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7月11日祈祷会 サムエル記下第2章

本章ではサウル王の死が、すなわちダビデへの王位の移譲を実現することにはならなかったことが記されていました。サウル王家の重臣アブネルは、王子イシュ・ボシェトを抱えて王家の再興を目指そうとしています。一方でダビデはユダ族のみに王として認められ、油を注がれました。同じイスラエル王国の間で、王位を主張する二つの家が争いを起こしています。聖書はしばしば王の権力を否定的に捉えていますが、この箇所も、権力争いによって無益な殺生が生じる点を批判しています。王権が容易には移譲されることのない現実のなかで、関わる人々は罪の姿を露わにしていきます。そのなかで、本章ではあまり語られない神様が、ダビデ王家とサウル王家に対してご自身の御心が明らかにされています。

1.ダビデのイスラエル帰還、そして即位

ダビデたちにとっても、今は祖国の危機です。宿敵ペリシテの領内であるティクラグに居続けることはできません。これまでと同じように主の御言葉に聞くダビデです。「ダビデは主に託宣を求めて言った。「どこかユダの町に上るべきでしょうか。」主は言われた。「上れ。」更にダビデは尋ねた。「どこへ上ればよいのでしょうか。」「ヘブロンへ」と主はお答えになった。(1)

ダビデたちがイスラエルに戻るために同族のユダの領内が選ばれました。そしてそのなかでもヘブロンが選ばれます。ユダ族の領内でも、ダビデの故郷であるベツレヘムが選ばれなかったのは、そこがユダ族のなかでも北側の土地、サウル王家が属するベニヤミン族に近いところだったからもしれません。

ユダの人々はそこに来て、ダビデをユダ族の王としました。ユダ族はあらためて、ダビデに油を注いでいます。ダビデはすでサムエルから油を注がれていましたが、ここであらためて、ユダ族がダビデを王として認めたことが示されています。

 名実ともに王となったダビデがまず行ったことは、サウルを丁重に葬ったヤベシュの住民の祝福でした。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように(5,6)ダビデはギレアドのヤベシュの住民の行いが御心に祝福されるものであることを宣言しています。かつての危機を救ってくれたサウル王への恩顧は、すなわちサウルを救い主として遣わした、主なる神の計らいへの応答でもあります。主の恵みに答えるヤベシュの住民の信仰をダビデは讃えます。また、自身が王として選ばれたことを告げて、彼らに安堵を与えています。

 一方、サウル家でも新しい王が立てられました。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り(8)この擁立と訳されている言葉「取る、捕らえる」とも訳されるもので、動作者の恣意が際立つ言葉です。自分の意志によって、その地位に人を据えるので「擁立」と訳されています。ユダ族の人が集まってダビデに油を注いでいる様子とは正反対です。アブネルはサウル王家に長く仕える重臣として、サウル王家によってイスラエルは治められると考えていたのでしょう。しかし残念ながらその考えは、主の御心とは異なるものだったようです。

2.ダビデ王家とサウル王家の内戦へ

 一つの王国に二人の王がいることが争いの火種となりました。それぞれの家臣たちが相争うようになります。十二人同士の戦いがどういうものであったかは語られていません。一説によれば、オリエントのしきたりに相撲のようなもので決着をつけるものがあったそうです。血を流さずに力比べで勝負をつける代表戦だったものが、あっというまに流血の戦闘になっています。人の敵愾心は憎しみを容易に生み出します。些細な諍いが戦争にエスカレートする様は、今も変わることのない人の悲しい罪の姿によるものです。

サウル王家の敗色が濃くなってきたところに、ヨアブの弟アサエルが功を焦りました。アブネルを追い詰めているのは、彼の独断です。追いかけられているアブネルはアサエルの追跡をやめさせようとします。元は、同じイスラエルの民であり、ともにサウルの元で戦った仲間たちでした。しかしアサエルはすっかり憎しみに満たされていました。命を守る必要があったアブネルを責めることはできません。アサエルはその頑なさゆえに命を落とすこととなりました。

3.アブネル、ヨアブの停戦とダビデの忍耐

はじめは代表戦で始末をつけようと思っていたところが、流血沙汰にまで深刻化してしまいました。アブネルはヨアブに呼びかけます。「『いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。いつになったら、兄弟を追うのはやめよ、と兵士に命じるのか。』(26)ヨアブもこれに応え、停戦となりました。

いつの世も、戦争は些細な諍いからエスカレートしていきます。戦いに駆り出される若者たちは、植え付けられた敵愾心で相手を憎しみ、心が頑なになっていきます。しかし戦争のあとに残るのは、兵士として駆り出された人たちの犠牲です。十二人同士の相撲ですむところが、ダビデの家臣は兄弟アサエルの死が残り、サウル王家は三百六十人が殺されました。

この内戦は、アブネルとヨアブに率いられる家臣たちの暴走が原因の一つと言えます。彼らはダビデやイシュ・ボシェトの意向を無視しています。のちにアブネルとヨアブは、主君を尊ばない姿を見せ始めます。「主よ、主よ」と忠誠を誓いながら、己の思いの欲するままに振る舞う姿は、このあと露骨に示されていきます。またダビデが沈黙しているのは家臣をうまくまとめられなかったダビデの未熟も示されていると考えられます。

さて、ダビデ以上に沈黙されているのは、主なる神様です。これまでも神様がまったく沈黙されるところがありました。神が沈黙される時、人の振る舞いに委ねながら、御心を表そうとしておられると考えられます。人々が勝手な振る舞いをしているように見えるが、じつに最後の節に主の御心が現れています。「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった(3:1)。」

神の沈黙のなかにも、御心は日々明らかにされていきます。主がはっきりと答えを示して下されば安心ですが、いつもそうなるとは限りません。わたしたちは、主なる神様にお仕えしながら実際は自らの思いで、意見を交わし、行動を決定し前に進みます。先日は小会、執事会が行われました。それぞれの方々が、どうすれば伝道が進むか考えます。さまざまな意見があり、ときに衝突もあります。わたしたちの主の家が、ダビデ王家のように勢力をますときは、そこに主の慈しみとまことが尽くされること、神が生きておられることに信頼するときではないでしょうか。神の言葉が聞こえないように思えても、じつは信仰の交わりのなかに、御心が顕されていきます。今日は一つの国に二人の王が立つ混乱を見ましたが、わたしたちの王は一人です。メシア(油注がれた方)である主を、神の国の唯一の王様として、わたしたちは戴いています。

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