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7月4日祈祷会 サムエル記下第1章

わたしたちの手元には上下巻に分かれたサムエル記が与えられていますが、もともとは“シャムエール”と名付けられた一巻本でした。紀元前1世紀ごろにギリシャ語に翻訳されますが、そのときに上下二巻に分かれました。その理由は「一つの巻物に収まる分量で分けた」という現実的なものです。

上巻の最後でイスラエル初代の王のサウルがペリシテとの戦いに敗れ、非業の死を遂げます。上巻は、サウルの生涯を通して、預言者サムエルの役割と、ダビデの苦悩と成長が描かれていました。サウルが死んだことにより、ダビデが新しい王とされることを踏まえれば、上下の境がサウル王の死を描いていることは、単純に上下に分けたようではない深い意図も感じるところです。今日から始まるサムエルの下巻は、サウルの死がダビデに伝えられるところからはじまります。

1.王冠と腕輪を携える“若者”の正体は?

前回、サムエル記上の最後第31章では目撃者の証言から書き起こされたように、サウルの死が詳らかに描かれていました。照らし合わせながら読んでみますと、ダビデのもとにたどりついた“若者”の証言と、前回読んだサウルの死には、いくつか食い違いがあります。敢えて異なるところを挙げてみたいと思います。

①7~9節のサウルの最期が異なります。前章によればサウルは弓で射られて深手を負いました。そして死を覚悟して自ら剣に身を投げ出し自害しています。②サウルが介錯を言いつけたのはイスラエル兵の従卒で、この人はサウル王の命令を拒みました。しかも、この従卒も王の後を追いました。③10節の王と腕輪をはぎとったのは、ペリシテの兵です。④「アマレクの寄留」と名乗っていますが、イスラエルの宿敵であるアマレクが律法で保護されている「寄留の民」であったかどうか、保証する記述がありません。⑤アマレクは直前までダビデと戦っていました。そのアマレク人がダビデとアマレク人が相争ったツィクラグより、往復約250km(地図参照)離れたギルボア山の戦闘に参加し、数日の間にまた戻ってくることは容易ではありません。⑥前章でサウルが従者に言った最後の言葉は「あの無割礼の者どもに襲われて刺殺され、なぶりものにされたくない(31:4)でした。サウルは最後まで神に聖別されたイスラエルの民であることを、強く意識していました。そのサウルが、「アマレクの者です(8)と名乗ったものに、「とどめを刺してくれ」と言うでしょうか。

2.一貫した信仰で判断するダビデ

このように“若者”の証言には何点か怪しいところがあります。しかし彼が、身分を偽り、前章でも記されていた「サウルの武具を奪った」ペリシテ兵だとすればどうでしょうか。ペリシテ人は、アマレク人がダビデの本拠地ツィクラグを襲い、ダビデが交戦状態にあることを知りません。またダビデがサウルと仲たがいをしていたことを知っています。ペリシテ人の目からは、ダビデはかつて、サウルに命を奪われそうになっていたイスラエルの落人でした。いまサウルの死を知らせ、王の権力の象徴である王冠と腕輪を持っていけば、王の権力が手中に転がりこんだことを喜び、褒美に与ることを期待したのではないかと考えられます。

 サウルの死が伝えられたところ、ダビデたちは衣を裂いて「剣にたおれた」サウル、そして王子ヨナタンらの死を悼んで泣き、夕暮れまで断食をします。深く悲しんでいます。そしてこの“若者”への報いが与えられることになりました。さきにこの人の証言の怪しいところを挙げてきましたが、ダビデがそれに気づいたかどうかはわかりません。しかし「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か」と語るダビデがこの人に与えた報いは、褒美ではなく死でした。

 ダビデが、“若者”がアマレクのものなのか、ペリシテのものなのか、確かめずに処断しているのであれば、これまでのところで真偽を確かめて来たことは無意味なように思えるかもしれません。しかし確かめることで、この“若者”には十分怪しいところがあり、聡明なダビデであれば詰問し、あるいは正体を見抜くこともできたであろうことを念頭に置くことができます。ダビデはそうしませんでした。“若者”の正体の如何に関わりなく「主が油を注がれた方を恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か(14)と、この一点に集中しているところに驚かされます。聖書は“若者”の正体の怪しさを十分に漂わせながら、そこに問題点を置くのではなく、ダビデの信仰の在り方に光を照らそうとしているのです。

3.サウルとヨナタンへのダビデの哀悼

 ダビデにとっては、サウルは最後まで「主が油を注がれた人」でした。ダビデは神の選びを尊ぶ信仰を貫いたのです。この信仰の在り方には一貫性があります。上巻の第24章、エン・ゲディの洞窟で、サウルの命を狙うこともできたのに、手にかけなかったダビデ。また第26章、ハキラの丘でも、同じく眠るサウルには手出しをせず、立ち返りの言葉をかけるダビデ。そこにあるのは「この人は主が選んだ人である」という弁えでした。自分自身も主に選ばれ、油を注がれたということを重んじるがゆえに、サウルのことも重んじます。人の思いではなく、主の選びを尊重するところに、旧約にも新約にも貫かれる信仰の在り方が示されています。

 17節からはダビデの哀悼の歌が綴られていました。竪琴の名手でもある詩人ダビデは、サウルとヨナタン父子の死を悲しみます。「ユダの人々に教えるように」と書かれていますから、サウルとヨナタンが戦死したことを後世に伝える意味も込められていたと思います。

「ああ、勇士らは倒れた」という声が3回繰り返されています。これは「エーフ」と絞り出すような感嘆詞で、悲しみを表すときに用いられる言葉です。このように歌は王の死とイスラエルの敗北の悲しみに満ちています。また「サウルの盾が油も塗られずに見捨てられている」とあります。当時の詩では、「盾」は王の象徴とも言われます。「油」と合わせて歌われていることも考えると、主に選ばれ油を注がれながらも、神の基準を満たさず、王としての務めを果たせなかった悲しみが込められています。

サウルとヨナタンの父子の愛の深さも歌われています。「命ある時も死に臨んでも二人が離れることはなかった」。メリスマ法というヘブライ語の表現技法で、両極端のことを語りながら、その間にあることがすべて含まれていることを強調します。「生きる時も、死ぬときも、片時も離れることのない愛の深さ」、父と子の深い愛を、ダビデが悲しみに満たされながら歌います。

サウルとヨナタンがあっての自分であることを、この歌とともにダビデは深く心に刻んでいます。牧童からダビデを召し出して、賜物を寵愛したサウル。命を狙われたとき、命をかけて味方となってくれたヨナタン。彼らを主が選び、引き合わせてくださったからこそ、これからの王としての役目があることを、ダビデはさらに深く思い留めたことでしょう。イスラエルの敗北と先代の王の死という、哀しく、最も苦しい状況から、ダビデは王としての歩みを始めることになります。

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