8月19日説教のポイント
「心が鈍くなるほどに」
聖書 マルコによる福音書第6章45-52節
伝道師 三輪恵愛
1. イエス様の急なお指図に「強いて」舟に乗せられる弟子たち
ガリラヤでの宣教は順調でした。福音は多くの人を救いに導いていたのです。男性だけでも五千人もの人が、たった五つのパンと二匹の魚で養われました。言葉と行いを見て、弟子たちは「このお方に従ってきてよかった!」と、これからの宣教に期待したのではないでしょうか。ところが、イエス様は「ここから逆のほう、ベトサイダにあなたがただけで舟で行きなさい」と言われます。いくつもの「なぜ?」が弟子たちの心によぎったのでしょう。「ベトサイダ?せっかく集まった群衆を解散させ?わたしたちだけで?」イエス様はそんな弟子たちを強いて舟に乗せます。
2. 近づきながらも通り過ぎようとされるイエス様の不思議
イエス様のお指図とはいえ、意図がわからなければ手も鈍るものです。慣れ親しんだ湖なのに、夕方まできってやっと半分。さらに夜明けまで漕ぎ続けます。このとき弟子たちは、疲れてもいました(31節参照)。食事をする暇もないほどに群衆に仕え、またイエス様にも仕え続けていたのでした。疲れの極み、そしてイエス様の意図がわからない。そんな弟子たちが、明け方まで漕ぎ続けたとき、やっとイエス様は彼らに近づいていきます。ところが乗り込まれるかと思いきや、傍を通り過ぎられます。まるで、行き先を示すかのように、つかずはなれず、傍を通り過ぎます。
3. 心が鈍くなるほどに御言葉に仕えるすべての弟子たちへ
そんなイエス様を、幽霊だと思い大声で叫ぶ弟子たちに「安心しなさい、わたした。恐れることはない」と語りかけ舟に乗りこまれます。結局、イエス様が何をなさなりたかったのか、弟子たちは驚くしかありませんでした。この出来事を聞くすべてのキリストの弟子たちも、イエス様の振る舞いに驚いたでしょう。なぜ一緒に舟に乗らなかったのですか?「祈るために山へ行かれた」御言葉を聞いて舟を漕ぎだす弟子たちを祈りのうちに守るために。なぜ通り過ぎていかれたのですか?示されたところを目指して、漕ぎ続けるすべての弟子たちに。「その方向で良い、そちらにわたしも向かう」と示すために。なぜ語りかけてくださるのですか?イエス様の御姿がわからず不安の叫びをあげてしまうときに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」とこの言葉をかけてくださるために。目指すところに向かって漕ぎ続けるすべての弟子たちへ、御言葉が語りかけられ、そこにイエス様が乗り込まれます。心鈍くなるほどに御声に従う、愛する弟子たちと共にいるために。
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