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9月12日祈祷会 サムエル記下第9章

ダビデとの契約を結ばれた神様はさっそく、恵みの御業を果たし始めます。その手始めに、ダビデを用いて数々の異民族と戦い、そのすべてにおいて勝利をもたらします。第9章に先を急ぐまえに、戦果の記録のみが続くような第8章のなかで、大切なところだけ押さえておきたいと思います。

1.ことごとく世に勝利される主のご栄光

ダビデ率いるイスラエル軍は、異教の民との戦いを重ねながら、次々と屈服させていきます。ペリシテ、モアブ、アラム、アンモン、アマレク、遠い先祖の時代から、長らくイスラエルの民を脅かしてきたものたちです。神ならぬものを拝む民族は、契約を結んだダビデを通してあらわされる主の栄光の前に、勝つことができませんでした。ダビデはこれらの勝利は主なる神の恵みであることを忘れません。その応答として、得たものを聖別して献げます。「ダビデ王はこれらの品々を、征服したすべての異邦の民から得た銀や金と共に主のために聖別した。それは、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから得たもの、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの戦利品などであった(11,12)かつてサウルはサムエルを通して語られた聖別の約束を破り、私腹を肥やしました(サムエル記上第15章参照)。ダビデはその轍を踏みません。恵みの契約を心に留め、これらの勝利もすべては神からの賜りものと弁えています。のちにイエス様は十字架のご栄光を現されるまえに弟子たちにこのように語られました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ16:33)ダビデを通して、主なる神は勝利のお姿をすでに現し、預言されていました。「主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた(14)」、契約に全幅の信頼を置くダビデには、苦難を忍んだからこその勝利が与えられたのでした。

2.世代を超える信仰の交わり

異民族をも屈服させ平安を得たダビデは、再び大切なことを思い出します。契約の箱がそのままにされていたことを思い出した第7章の出だしに似ています。「サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい(1)7章では神との契約の箱を思い出したように、ここでは主の御前に心服の友と結んだ契約を思い出します。まだダビデがサウルの元から逃げ出す前に、彼はヨナタンと深い友情を結び、涙にむせびながら今生の別れを惜しみました。思えばあれが最後の別れになったのです(サムエル記上第20)。ギルボア山の無念を聞いていながら、ダビデはこれまでヨナタンのためになにも出来ずにいました。共に主を信じ、愛し合った友の為に「忠実を尽くしたい」と語ります。同じ言い方が二度、続きます(37)

 残念なことに、ヨナタンはすでに世を去っていますから、ダビデは彼に対してはもう愛を果たすことができません。そこで呼ばれたのがツィバという名の、いわばサウル家に仕える家令でした。ダビデの求めに応じて申し述べたところが、ヨナタンの息子メフィボシェトのことです。サウルの孫にあたります。彼のことはサムエル記下第44節に少し触れてられていました。サウルとヨナタンが戦死した知らせが届いたとき、慌てた乳母がまだ幼かった彼を取り落とし、以来両足が不自由になっていました。ダビデは彼の土地を安堵し、ツィバの家族も召し上げて、メフィボシェトに仕えるように命じます。ヨナタンとの契約は世代を超えて、果たされることとなりました。

ところで、こうして果たされたダビデとヨナタンの契約が示してくれているものを、考えてみたいと思います。

まず一つには、世代を超えた信仰者同士の愛を見ることができると思います。ダビデが思い出した時、すでにヨナタンは世を去っていました。旧交を思い出した時、故人には果たすことのできない約束が遺されることがあります。しかしわたしたち信仰の友は、教会にあって、先の世代の交わりに与っていることを思い起こすことができます。先代同士の友情が、今の交わりに生きていることを感謝と共に思い出すことができます。二代、三代となると、関わりが薄くなってしまうものですが、主にある交わりが保たれていれば、旧交を温め続けることができるのも、教会ならではの恵みではないでしょうか。

そして、その関わりの要となるものが、1節のダビデの言葉に込められています。

”וְאֶעֱשֶׂה עִמּוֹ חֶסֶד, בַּעֲבוּר יְהוֹנָתָן”

(ベイエェセー インモー ヘセド バヤブール ヨナタン)、直訳すると「ヨナタンのゆえにわたしのを彼(サウル家のもの)に見せたい」という意味になります。訳者はダビデとヨナタンが主の御前に契約を結んだので「忠実」という言葉を選んだのだと思いますが、「契約」を果たすということは、つまりはその相手をどれほど大切にしているか、愛しているか、に関わるということが言えます。結婚や友情などの人間関係も、一つの契約の姿だと思いますと、このダビデの言葉はひとたび結んだ関係を大切に保つ要は「ヘセド:愛をいかに見せていくか」にかかるということを示しているように思われます。すでに世にないヨナタンですが、彼との愛を思い出し、それをメフィボシェトに「見せたい」というダビデの思いは、見返りを求めない真実の愛と言えるでしょう。

3.まず契約に忠実であられるのは主なる神

こうして初めて会うことになった父の親友であるダビデから、思いもよらぬ恩恵を被るメフィボシェトと、そして家令のツィバです。サウル家のものとして没落後はきっと不遇をかこっていたことでしょう。「僕(しもべ)など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは(8)、苦労の末に一方的な恵みを与えられ、つい口を出た驚きに満ちた感謝の言葉のように聞こえます。以来、ダビデと食卓を共にしながら亡き父ヨナタンの若き日の思い出を、何度も聞かされたのではないでしょうか。

こうしてダビデの「忠実」を眺めながら、まずわたしたちは信仰の交わりを、世代を超えて保つことの大切さに気付かされます。さらには、これもまた神様がまずダビデを平安にし、勝利を与えたからこそ、忠実を尽くすことが出来たのだということも忘れないようにしたいと思います。

いつの世も契約に忠実であられるのは、まず神様なのです。人は契約を破ってしまうことがあります。しかし神はその深い憐れみゆえに必ず契約を果たしてくださいます。神様が契約に忠実に、まず一方的にダビデに恵みを与え、さればこそダビデはヨナタンとの契約を思い出し、果たすことができました。メフィボシェトが恵まれたことで、サウル家に仕えたツィバとその家族まで恵みは広がっていきます。今や、イエス・キリストに現れた新しい契約は、教会を通して果たされ、一方的な恵みによって信じるものを満たし、さらには関わりのある社会全体へと広がって行きます。

冒頭ではダビデを通して勝利の栄光を示される主の姿に触れました。関わっていく世には困難がつきものですが、神様は必ず契約を果たしてくだします。イエス・キリストが勝利してくださったので、わたしたちには勝利しか遺されていません。この恵みの契約は、これからも世代を超えて教会で果たされていくことになります。主なる神様は、キリストの忠実のゆえに、次の代も、その次の代も、「いつもわたしの食卓で食事をすることになる(10)ように、恵みを与え続けてくださいます。

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