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9月23日説教のポイント

      

「天に向かってエッファッタ!

聖書 マルコによる福音書第731-37 

伝道師 三輪恵愛

.「信じたい!」生きて行くなかで誰しも思う願い、教会も然り

教会は「信じたい!」と願う人の集まりです。「このお方のなさったことはすべてすばらしい(37)群衆のように素直に救い主を信じて生きてければいいのに。わたしたちは「信じる」ということに二つの方向があることに気づきます。一つは、過去に起きたことを真実だと受け入れること。その点、今日の御言葉は客観証言を見出せます。「この人だけを群衆から連れ出し(33)奇跡を信じさせることが目的ならば群衆の目前でするはずです。「エッファッタ(34)敢えてイエス様の声の響き、アラム語を記します。「口止めされた(36)信じさせるならばむしろ言い広めさせるでしょう。「聖書は事実の証明ではなく信仰の書物だ」と言われます。確かにそうですが、こうして客観的にもわたしたちを信じさせてくれるところもあります。

. 過去の出来事の信ぴょう性は、これからの出来事の希望になり得るか

次に「信じたい」と願う人の関心事は、将来に向かっていきます。イエス様は癒されるべき人を前に「聞こえず、語れない」ことの心の痛みを感じられたのではないでしょうか。「神の言葉が聞こえず語れない」悲しみを聞き届け「エッファッタ」してくださることが、教会の希望になります。「指をその両耳に差し入れ、唾を下につける(33)」。このイエス様の力を感じられるところは、教会においてわたしたちの命に入ってくる神の言葉ではないでしょうか。「まさか」と思われるかもしれません。しかしこうして礼拝を中心にしているわたしたちの命には、すでに両耳に指を入れ、唾を下につけたほどに触れてこられる神の言葉が入り込んできているのです。

3.イエス様が天を仰いで「エッファッタ」してくださることに信頼しながら

ハンディキャップを負っている方には慎重に語られるべき奇跡の業かもしれません。しかし実際に聞こえず、語れない人でも「神の言葉に開かれて」教会に生きて信じている人たちはおられます。神の言葉への「エッファッタ」はたちまち起こされていきます。「信仰歴?十年、なかなかエッファッタされません」、大丈夫です。「たちまち」という言葉は時間的な緊急性だけでなく、「目的にまっすぐ向かっている」ことも示します。こうして教会につながり続けていることが「エッファッタ」されている何よりの証拠です。現代において「信じたい!」と願っているすべての人に向けて。次はいよいよ、わたしたちがイエス様の指となって用いられ、イエス様と一緒に「天に向かってエッファッタ(開け)!」と祈り願う側なのかもしれません。

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