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9月30日説教のポイント

「アーメンと祈りつつ」

聖書 ヤコブの手紙第513-20 

伝道師 三輪恵愛

. 過度のパウロ理解のために“ヤコブの手紙”は信仰の実践を説く

「十字架のキリストを信じることによってすべての人は罪を赦される」と要約されるパウロの信仰理解は多くの人々を救いに導きました。エルサレムから遠く西へ、東へと初代の教会が建てられていきます。ところが「信じれば救われる」との福音の要点が過度に説かれたことで、「信じた後の行いは救いには関係ないのだ」と理解する人たちも出てきました。パウロのいくつかの手紙の少し後に記されたこのヤコブの手紙は、行き過ぎたパウロの信仰理解を手直ししながら、神様との生きた関係を説きます。「救われたからこそ神様の御心を行っていく」そこには祈りも含まれます

. 神様に向き直って祈る人には、みんな「正しい」関係が始まっている!

実践的、具体的な信仰を説くこの手紙、結びにあたるところで祈りに触れます。「なるほど初代の教会ではこう祈っていたのか」と理解を促されます。しかし16節の「正しい人の祈りには」と聞いたところで、誰しもたじろぐのではないでしょうか。「信仰的に正しい人などいるのだろうか」。聖書が語る「正しさ」という言葉には繰り返し説かれるべき大切な意味があります。人間の在り方だけを見つめるだけでは誰も「正しさ」に行き着くことはできないでしょう。そうではなく「神との関わりを持つ」ところに聖書が伝えようとしている「正しさ()」があります。今、生きておられる神様に向いていることがすでに「正しさ」ならば、祈りはまさに「正しさ」の証し!なぜならば、祈るときわたしたちは神様のほうを向き、言葉において交わるからです。

3.「アーメン!そうでありますように!」と友の祈りに言える幸せ、聞ける幸せ

教会でもっとも聞くことの多いヘブライ語は「アーメン(そうでありますように)」ではないでしょうか。初代の教会でもなんども「アーメン」と口をそろえたでしょう。生き生きとした信仰により、神様との生きた交わりを重ねるなかで、祈りの言葉は本当の願いを語るようにとされていきます。わたしたちが共に祈るとき、信仰の友の祈りを聞いて心から「アーメン!」と言わずにはおれないときがあります。礼拝のなかでも、祈祷会でも、わたしたちは祈りを分かち合いながら、その願いが聞き届けられたときの喜びも分かち合います。「罪人の魂を死から救い出す」結びでは究極の願いが語られていました。善、永遠、力、信頼、おおよそ良い物が神の御許にあるという真実。大切な人が神の方を向いて生きてくれるようになれば!神様との交わりにある「正しい人」として共に「アーメンと祈りつつ」その時を願っていきましょう。

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