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11月07日祈祷会 サムエル記下第17章1-23節

   

王子アブサロムの反逆はひとまずの成功を収めます。知恵者アヒトフェルの提案によりエルサレム入城を果たし、ダビデの王宮も制されることとなりました。アヒトフェルの提案は「神託のようであった」と記されていました。しかし提案の内容たるや神への畏れも、人への憐れみもない、ただ目的を遂行するためだけの冷徹な知恵でした。そのアヒトフェルに対抗するために、ダビデが都に残した友人フシャイがいましたが、彼はそのとき沈黙したままでした。しかし今回は、フシャイがその大切な務めを果たしていくことになります。

1.アヒトフェルの提案を遮るフシャイの貢献

「今夜のうちに出発してダビデを追跡します(1)アヒトフェルは直ちに次の提案を上奏しました。「イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映った(3)とあるように、取るもの取りあえず逃げ出したダビデの状況を考えれば、確かに優れた提案です。ここにフシャイが居なければアブサロムはすぐに追撃を許したでしょう。しかしアブサロムはフシャイの意見も聴くことにしました。ここにはいくつかの隠された意図が働いていると思います。まず優れているはずのアヒトフェルの提案を、アブサロムがすぐには納得しなかったこと。もしアヒトフェルがダビデを一人で討ち果たせば、手柄は彼のものになるでしょう。すでに長老たちにも実力を認められているアヒトフェルの知恵は、アブサロムの目にも脅威に映ったでしょう。次に、父ダビデと兵士たちの勇猛を考えると、知恵者ではあるけれどもヨアブのような猛将ではないことから、万に一つの失敗が頭をよぎったのかもしれません。「反対なら、お前も提言してみよ(6)あたかもフシャイが他の策を考えていることを期待しているかのような口ぶりです。

ここでフシャイ、はじめて口を開きアヒトフェルの提言に異論を唱えます。彼の意見もそれなりに説得力があります。「今頃は洞穴かどこかを見つけて(9)あのサウルの追手から生き延びて、実力をつけていったダビデ軍が野戦に秀でていることは知られていました。「全イスラエルを終結させて」「御自身で率いて(11)ダビデを討てば、手柄はアヒトフェルではなく、アブサロム自身のものになります。フシャイの提案は、長老たちだけでなく「どのイスラエル人も」、アヒトフェルのものよりも「まさる」と思いました。ここには先の意見よりも、後の意見の方が良いように聞こえる不思議な心理も働いています。実際はアヒトフェルが主張する「早急に討つべし」という意見と比べたとき、どちらも良い意見のように聞こえる程度の違いです。しかも、これは読者にしか知らされていませんが、ダビデ軍はこのとき疲れていました(16:14)。聖書は、人の理性や知恵を超えたところでなされる決定について、こう語ります。「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくださることを主が定められたからである(14)

2.フシャイたちの連携と名もなき助力者

しかしフシャイは提言のあとに行動を起こします。「急いで、使者をダビデに送り、こう告げなさい(16)アヒトフェルの提言は捨てられたかのように思われましたが、いつ翻されるかはわかりません。ダビデ追撃の可能性が示された今、一刻もはやくダビデに危険をしらせなければなりません。フシャイの慎重さが伺えます。ここで、フシャイと同様、ダビデに「エルサレムに留まって、助けてほしい」と頼んだ祭司たちが大切な役目を果たします。祭司ツァドクとアビアタルは、彼らそれぞれの息子ヨナタンとアヒアマツをダビデのもとに遣わしました。

危険な役目です。しかもあろうことか、追手に見つかってアブサロムに知れるところになりました(18)。この窮地を助けたのが、バフリムという町に住む、名もない男の妻です。井戸に身を隠した二人を匿って、嘘の情報で追手を煙に巻いたのでした。

追手がかかっている人を女性が匿うという流れは、耳に覚えがあります。あのヨシュア記でエリコを攻略したとき、偵察隊を匿ったのはラハブという女性でした。また夫ある女性が活躍するという点では、士師記でデボラ、バラクが戦った敵将シセラを、最後に打ち取ったのはヤエルという一人の夫人でした。聖書がたびたび語るように、男性だけではなく女性も大切な働きをしています。それにしても、この出来事はラハブやヤエル以上の不思議さを湛えています。この女性には、二人を匿う理由はまったくないからです。取引条件やお告げがあったわけでもありません。この女性が井戸の上に脱穀した麦を広げて二人を匿ったのは、反射的とも言えるほどです。合理的な説明は、一切できません。しかしだからこそ、「主が定められた」とのみ言葉は光を放ちます。すべてを解き明かすことを許されているわけではないのです。もう、ここにはアブサロムがこれから失敗し、ダビデが生還するための神の御業が働きはじめています。名もない女性が、ただこの二人を匿おうと行動したことそのものが、御業に用いられる理由であり、結果になっています。

3.アヒトフェルの虚しい自死、知恵とは一体?

こうしてダビデ軍は、疲れていたところに知らせが入り、急いでヨルダン川を渡って難を逃れたのでした。ここでもアヒトフェルの提言が正しかったことが暗に示されています。神様からの救いの知らせとは、夜明け前のもっとも暗いときにもたらされるものなのかもしれません。絶望に疲れていても「向こう岸に渡るのだ」との希望のお告げが勇気をあたえ、一人残らずみんなで向こう岸に渡らせる意欲を与えます。

暁の希望に照らされてヨルダン川を渡っていくダビデ軍とは対照的に、一人寂しく命を自ら断つ人がいます。ろばに乗って故郷に戻り「家の中を整えて首を吊る(23)アヒトフェル。自分の提案が実行されなかったことが、それほど彼の心を傷つけたのでしょうか。アブサロム新王朝の行く末に絶望したということもあるでしょう。ダビデの後宮を蹂躙することをアブサロムに提案しました。また今回のダビデ討滅の千載一遇の機会を逃したことから、新王朝には未来がないと見限り、その際は自分も生きてはいないだろうと絶望したのでしょう。あまりにも優れた知恵をもった人の孤独な最期です。彼は神をも畏れず、知恵を振りかざしていました。人を動かす全能感は心地よかったかもしれません。しかしフシャイをはじめ祭司たち、その息子たちが主を信頼して力を合わせていたことに比べれば、彼は孤独でした。

「主を畏れることは知恵の初め(箴言1:7)」と言われるとおり、人の思いをはるかにこえて御心をなされるお方を畏れ、愛することです。ダビデに味方した人たちの言葉や行いそのものには、実際、確たる根拠や合理性が示されていなかったことが、むしろ本章の見るべきところかもしれません。フシャイの提案が「まさる」と思われたのも、名もない女性が匿った動機にも理由はありません。やはり「主がお定めになった」ことだったのです。アヒトフェルの悲しい姿から敢えて言えることは、神を畏れる人たち、また人を思い遣るところに神の御業は現れるのでしょう。フシャイや祭司の息子たちは神を畏れ、女性は隠れる二人を匿いました。「あなたの神を愛しなさい、また自分と同じように隣人を愛しなさい」との言葉を、イエス様は「正しい答えだ、そうすれば命を得る」と言われます(ルカ10:27-28)

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