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11月4日説教のポイント

聖書 ヘブライ人への手紙第911-15 

伝道師 三輪恵愛

1.「犠牲は繰り返さなければ?」古い慣習に戻る人たちへ。キリストの「一度きり」

ヘブライ人クリスチャンはユダヤの慣習に長く親しんでいました。キリストを信じながらも、罪の赦しのために犠牲を繰り返し奉げなければならないという古い礼拝から自由になれません。この手紙の著者は「キリストの一度きりの犠牲で十分」と説教しています。キリストの教会もパンと葡萄酒は「キリストの肉と血そのもの」と考え、繰り返し犠牲が奉げられると考えました。罪が浄められるためには繰り返し代償が求められると考える宗教は多いのではないでしょうか。この手紙は問いかけます。「罪は繰り返し浄められるものですか?帳消しになるのですか?」

. あの時の過ちも苦しみも、生きていればこそ。キリストの犠牲はすべてに至る。

よしんば何か供物をささげて「赦し」を宣言されたとして、しかし過去の出来事が消えてしまうことはないでしょう。14節「わたしたちの良心を死んだ業から清めて」、わたしたちの良心は覚えていますし、忘れたとしても、神は覚えておられます。しかしそれらの出来事は、消したり、分けたりすることができないからこそ、今のこの時に至るのではないでしょうか。生きている神を礼拝するこの時に!「既に実現した恵み(11)」「御自身の血によってただ一度、贖いを(12)、キリストの一度きり、既に起きたからだからこそ、わたしたちの存在のすべてに及びます。わたしたちには、自信を持ってお見せできるところもあれば、そうではないところもあります。良いところ、悪いところが断絶してしまいそうなところに、キリストの犠牲が既に奉げられているのです。「そのままでよい、だからこそ今がある」と、生ける神への礼拝へ導く大祭司のお姿が示されています。

3.生ける神は永遠に。わたしたちを活かす大切な時に鼓動を合わせてくださる。

「神様が生きておられることを感じられれば」、しかし吐息も、鼓動も聞こえません。「永遠の“霊”」なる生ける神様ですから、わたしたちの人生よりも、はるかに鼓動の間隔が長く、吐息が深く、大きいのかもしれません。しかしその鼓動が重なるときがあります。苦しみ、悩むとき、鼓動が大きく聞こえるとき、わたしたちは生きていることをも知らされます。そこに主が鼓動を合わせてくださる。わたしたちの生の裂け目に吹き込んでくる「永遠の霊」が、大きな吐息となって新しい命に変えてくださる。罪が消えるのではなく「それも大切な一つのあなたである」と、受けいれてくださるキリストが、生ける神を礼拝するものへとしてくださるのです。

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