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12月2日説教音声とポイント

1.『捕囚』から解放、神殿再建の後にも関わらず、悔い改めない時代の書物

 アドヴェント(「アド・前に」「ヴェニオー・来る」)、クリスマスを心待ちにする時、「見よ、わたしは使者を送る」とのみ言葉から、救い主の到来の預言が響いてきます。マラキ書は、バビロン捕囚から解放され神殿が再建された後に語られた預言です。神への背きから解放され、再び礼拝する民とされておきながら?しかし5節には裁きの言葉が語られていました。いくつか並べられる罪を数えながら、関わりの有る無しを推量することはできるかもしれません。しかし最後の言葉「わたしを畏れぬ者ら」は単なる列挙の一つではないようです。あたかも全ての罪のほころびが、ここから始まることを示しているかのように、顧みを促されている思いがいたします。

2.「畏れ(ヤーレー)」は、「使者(マラキ)=御言葉を敬い、大切にする思いと共にあり

 しかし「神への畏れ」と言われても、それは姿や言葉で言い表すことができるものなのかどうか。当時の祭司たちも見た目には恭しく祭儀をささげていたと伝えられています。同じ第三章16節では「畏れ(ヤーレー)」は「畏れ敬う」とも訳され、また「主を畏れ、その御名を思う者」と広がりを示しています。ただ「怖がる」ことではなく「畏れ敬い大切にすること」。そして神が送り給う「契約の使者(マラキ)」、言葉において御心を伝えることへ、その畏れは向けられます。神は、「神を畏れぬ者」と言われながらも、そこに御言葉の使者を送り、交わりを保とうとされるお方です。でもなぜ?

3.宝のように大切な存在だから、いつまでも精錬し、汚れを取り除くために。

 「旧約は厳しい言葉が多くて。新約聖書は優しいイエス様の慰めの言葉が多いから好き」フワッとした印象を耳にすることがありました。「確かに!」と同意しつつも、読み込んでいきますと、旧約にも神様の慰めと平安の御言葉はたくさんあり、また新約ではイエス様も厳しいことを語り、使徒たちも聖なる在り方を勧めています。時に厳しく響く御言葉「契約の使者」も、それは、2,3節の「精錬の火、洗濯する者の灰汁(今でいう石鹸、洗剤の類)」を以ってして、宝物のように大切に清め、輝かせておきたいから。当時の神殿の祭司たちが、神への畏れをどう示せばよいのかわからず迷った直後に、精錬し穢れを取り除くために、まさしく穢れ無き神の宝なるイエス・キリストが、地上のもっとも病みと闇の深いところに来られました。牛馬の涎や出した物に汚れる寝床に飼い葉桶。そこを厭うことなく寝かせられる宝のごとき輝ける赤子は、わたしたちの内側より練り清めて、神の宝を輝かせる「契約の使者」、人となりたる神の御言葉として与えられました。クリスマスの奇跡です。

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