« 12月2日説教音声とポイント | トップページ | 12月9日説教音声とポイント »

12月5日祈祷会 サムエル記下第21章1-14節

王として務めるダビデに新しく示された試練は、三年も続く飢饉でした。飢饉は自然の常として起こり得ることです。しかし三年も続くことにダビデは異変を感じ、これは何か主の御心があるのではないかと思い、託宣を求めたのでしょう。この主の託宣によって生じたことは、七人のサウルの孫が処刑されたことでした。自然災害の前に生贄をささげるかのように、まるで人身御供を思わせる結末です。本章は、理解を超える解決を示す聖書に、まずは戸惑いを覚える箇所かもしれません。

1.神との聖なる契約を忘れたサウルの咎のゆえ 

 人生の歩みのなかで「何か、変だ。おかしい、普通ではないことが起きている」と気づいたとき、どこかに原因があるのではないかと慎重に思いめぐらせることがあると思います。三年続いた飢饉は、ダビデに異変を気づかせるものでした。そこで彼は、無視したり、軽んじたり、あるいは無理に解決するのではなく、静かに祈り、試練の意味が明らかにされるように、託宣を求めています。

いきさつの理解を深めるために、ギブオン人について、またサウルとの関わりを訊ねて聖書を遡りたいと思います。ギブオン人が異邦人でありながら「イスラエル人は彼らと誓約を交わし(2)たのは、ヨシュア記第9章まで遡ります。このときエリコ、アイと二つの街を攻め落として進むイスラエルに恐れをなしたギブオン人は、賢く立ち回り、神の御前に保護を受ける契約を交わしました。以来、ギブオン人はイスラエルの領内で平和に暮らしていました。そのギブオン人たちをサウルが「熱情の余り、討とうとした(2)ことについてはサム上第22章、ノブの町の住民が殺害されたことを指していると言われています。

 サウルがギブオン人を討ったことは、確かに明白な契約違反でした。サウルの人となりを永らく見て来ましたが、彼がいきさつを軽視、あるいは無視して己の思うところを為す人物であることは察しがつきます。ギブオン人との契約は、ヨシュアの時代まで遡る(200)こととはいえ、神様の御前に結ばれた聖なる契約です。まして主なる神様からの特別な指図もなく「熱情の余り」意を通したことは、御心に適うところではありませんでした。これは前回見た、ヨアブの熱心が招いたダビデの不興にも通じるところです。

2.ギブオン人、そしてヨナタンとの契約の重さ

 果たして、ダビデがギブオン人に問いかけたところ、託宣のとおり彼らはサウル王家に怨恨を抱いていました。ダビデもこういった民が領内にいることを忘れていたことについて、自責の念を抱いたかもしれません。受けた不条理の口惜しさを口に出すことが出来ず、無念を抱いている人々がいる世の悲しさを思わされます。

 ダビデは「あなたたちになにをしたらよいのだろう(3)と遜ります。そこに示されたギブオン人たちの望みは「あの男(サウル)の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください、主の御前にさらし者にします(6)との無情な要求でした。「大勢の同族の死を、七人の死によって赦しましょう」というようにも聞こえる条件ですから、ギブオン人にしてみれば譲歩なのかもしれません。しかも「主の御前に、主が選んだ七人」と彼らは語り、この要求が信仰的にも不当なものだとは思っていません。そして主は黙したままで、経過を見守っています。つまりギブオン人の要求を是とされています。

 「なぜこのような惨い報復を、神様は見過ごされるのだろうか」と感じるところです。ここで、ダビデの苦悩の判断に、まなざしを向けたいと思います。この七人の選びについては、ダビデに一任されたようにも受け取れます。そこで、ダビデはあのサウルの孫の一人、メフィボシェトを惜しんだとあります。たしかにメフィボシェトとダビデは、すでに心を深く通わせ合う関係にありました(サム下第19)。そういった情からの助命とも思えます。しかし「ダビデとサウルの子ヨナタンとの間には主をさして立てた誓いがあったからである(7)と、理由の重点を“誓い”主の御前に結ばれた契約(“ベリート”、ヨシュア9:15、サム上20:8)に置いています。ここで、今回ギブオン人の無念が晴らされようとしていることとの関係が見えてきます。すなわち、主の御前に立てられた契約(ベリート)が重んじられているという点です。

 聖書を一貫して繋ぐものは、神と民との間で結ばれる契約です。ノア、アブラハム、モーセ、ダビデと、主は契約を結ばれる信仰者を召してきました。契約を結んだ民は神よりの守りを受ける(恩寵)一方で、契約を守るための義務(律法)を負います。また、人間は契約を破る弱さを負いますが、神は一度結んだ契約を反故にすることはありません。ギブオン人の不遇を三年の飢饉によってダビデに知らせたのも、神との契約を重んじることの大切さを想起させることを、主が望まれたと言うことが出来ると思います。これに応じるように、ダビデもヨナタンとの契約を思い起こし、メフィボシェトの命を惜しんだのでした。

3.新しい契約は神との義なる関係を保たせる

 しかし七人のサウルの孫たちの命が犠牲になったことは、悲しみを禁じ得ません。「七人は一度に処刑された(9)無情な結末に思えます。しかも母であるリツパが夜に昼に、朽ちていく息子、娘の亡骸を守る姿は、想像しても胸が痛みます。収穫祭に合わせて犠牲が奉げられた様子は、飢饉を宥めるための人身御供のようにすら聞こえます。

 さきほど確かめたように、このたびのことは神様が契約の重さをダビデに気づかせるため、またギブオン人への補償を果たすために起こされたことでした。サウルの孫たち、リツパの子供たちは哀れですが、それほど契約の事実は重く、尊いということに目を向けさせようとしています。

神は契約を重んじられますが、人はサウルのように忘却して契約を反故にすることがあります。故意ではなくても、神様の恵みの契約を忘れてしまうのです。人が罪の前にまことに弱い存在であることを思わせられます。旧約の頃には契約を補償するために、犠牲が伴いました。これは契約の重さを知らせると同時に、新約では神様と結んだ契約は、すでに犠牲がささげられているという深い感謝をも想起させます。すなわちイエス・キリストの犠牲による贖いです。

今週よりアドヴェントに入りまして、クリスマスまでの時を過ごしてまいります。イエス様の誕生の喜びを深めるためにも、このお方が新しい契約のために来られたことを覚えたいと思います。エレミヤ書第31章では「見よ、わたしが新しい契約を結ぶ日が来る(31)と預言し、イエス様がお生まれになる直前、ヨハネの父ザカリアは「主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる(ルカ1:72)と賛美しました。そして福音をお伝えになられ、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である(1コリ11:25)と宣言されました。契約を破ることもある人のために、神は人との交わりが断ち切られることのないように、イエス・キリストの尊い贖いによって新しい契約を結んでくださったのです。神の契約の重さを知らしめることになった七人の犠牲を見守った母リツパの姿が胸を打ちました。母マリアも新しい契約の成就まで「心を剣で刺し貫かれる(ルカ2:35)思いで、イエス様の歩みを、誕生から十字架まで見守りました。そして深い悲しみの後、この神様との新しい契約は決して朽ち果てないことを証しする、復活の真実に立ち合うことになったのです。

« 12月2日説教音声とポイント | トップページ | 12月9日説教音声とポイント »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 12月5日祈祷会 サムエル記下第21章1-14節:

« 12月2日説教音声とポイント | トップページ | 12月9日説教音声とポイント »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ