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12月9日説教音声とポイント

「主の平和は荒れ野から」

聖書 ルカによる福音書第167-80 

伝道師 三輪恵愛

1.イエス様の前に生まれた洗礼者ヨハネは、荒れ野に向かう

 老境にあった祭司ザカリアにとって、息子ヨハネの誕生はどれほど嬉しいことだったでしょうか。聖霊に満たされ、神を誉め讃えて歌います。その喜びの歌はヨハネのことだけではなく「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え(76)と、ヨハネの後に来られる人も示しています。そしてヨハネは、その方に先立って荒れ野に向かっていきました。後に来られる方、すなわち救い主も荒れ野を目指すことを示すかのように。ザカリアの後を継いで祭司となるような、整った道を執らず、ヨハネは荒れ野に向かいました。

2.アブラハムとの聖なる契約より、神はすべての信仰者にとっての神

 「我ら」「主の民」は71,74節によれば「敵」から救われていくのですが「敵」とはいったい何者でしょう?「考えを同じくできないもの、認められないもの」という意味の言葉ですから日常的に「敵意」を持つ誰かを思いめぐらせることはあるでしょう。この一年、様々な人間関係のなかで心が荒れてしまった方がクリスマスに教会を訪ねるかもしれません。ザカリアの歌に集中すれば、この敵はアブラハム以来の信仰者を苛む「共通の敵」です。創世記第177,8節は「あなたの子孫との間に、契約を立て、それを永遠の契約とする」「わたしは彼らの神となる」と、主は信じるすべての人の神となりました。それでは敵に苛まれる信仰者はいま、どこにいるのでしょう。

3.神を信じることの厳しさを覚えつつ、荒れ野から歩み始める平和の道

信仰的におけるアブラハムの子孫は「暗闇と死の陰に座している(79)とザカリアは歌います。ここに、できれば認めたくない、しかし目を向けざるを得ない現実を知らされます。「聖なる契約を覚えていてくださるならば、なぜいつも救われているということを、確信をもって生きることができないのか?」なんどもクリスマスを祝いながら一年を振り返るとき、試練在り、耐えがたい悲しみあり、苦しいことがあるのです。信仰者たちは気づくのです。心のなかに、神に信頼して歩むことを難しくする厳しい荒れ野がまだ残っていることを。それゆえ「主に先立って行き、その道を整え、救いを知らせる」ヨハネは、まずその荒れ野に向かいました。クリスマスに降り立つ神の言葉は、荒れ野にこそ訪れると。「敵の手から救われ、恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく」清く正しくなってから歩むのではなく、まず荒れ野に響く御言葉に照らされ、そこから主の平和の道ははじまります。

 

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