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1月27日説教音声とポイント

「主の賜物を携えて」

聖書 コリントの信徒への手紙一第1218-28 

伝道師 三輪恵愛

「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです(18)」。わたしたちの体は、神が創造されました。しかし今日の御言葉は人体の創造について語っているかと思いきや「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました(18,19)教会につながっておられるお一人お一人が、キリストの体の一部とされている事実を、喩えを用いて語っていたのです。人数の多寡が教会の価値を定めるのではありません。なるほどコリントの教会への手紙にも、他の教会に充てられた手紙にも、教会の人数については一言も触れていません。神のまなざしはお一人お一人のキリストとの結びつきに注がれています。

では、どういった結びつきが教会にとって尊ばれるのでしょうか。興味深いことに、今日の御言葉は「賜物が豊かで、多様性をもっているほうが教会にとって素晴らしい」とは言いません。賜物の素晴らしさばかりが褒めそやされると、ときには目が手に、頭が足に「お前は要らぬ」などいうことが起きかねないのです(21)。じっさいコリントの教会では体の一部が分裂するようなことが起きていたのでしょう。

「教会はキリストの体」という告白が大切にされてきたのは教会が「エクレシア:招かれたものたち」だからです。「エク・カレオー:招き出す」という言葉に源を持つ言葉です。イエス・キリストが招き(カレオー)続けたのはどのような人たちだったでしょうか。慰めを求めている人たちです。赦されなければならない人たちです。体に、または心に病を覚える人たちです。平安を求めている人たちです。賜物が優れているから招かれたのではないのです。それはあとから「神がお立てになった(28)賜物です。劣っているところがキリストと共に、礼拝のなかで尊ばれ、大切にされます。キリストとの結びつきゆえに喜びに変えられていくのです。それが教会、キリストの体と言われるご真実です。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」一人一人が、すべて、キリストの一部として招かれ、大切にされている存在なのです。


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