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2月17日説教音声とポイント

「来たれ、幸いな人たち」

聖書 詩篇第1 

伝道師 三輪恵愛

1.「アシュレー(幸いな人たちよ)!」宣言が先行する主の祝祷

礼拝式の最後に置かれている「祝祷」は、救われたイスラエルの民を祭司アロンが祝福し、信仰の旅路へと派遣した祭儀(民数記6:22-27)に由来します。信仰者の群れは「あなたは祝福されている!」との神の宣言を聞きます。詩篇はこの祝祷が、終わりどころか真っ先に宣言されるのです。誰であろうが、この宣言を聞き取る人は祝福されるように。原典の語順を重んじ「いかに幸いなことか」と新共同訳(文語訳、口語訳は後に置く)も記します。「アシュレー(幸いな人たちよ)!」と、まず宣言してから、なにが幸いなのかを詩篇は語っていきます。

2.「幸せ」に思えるところだけを語るわけにはいかない、聖書の真実

 「主の教えを愛する人」は「流れのほとりに植えられた木」、実を結びしおれることがありません。主の御言葉を大切にしている人が内面から常に新しくされていく様子が描かれます。しかし「幸いなところ」だけを聞かせてくれればよいのですが、「神の逆らう者」「罪ある者」「傲慢な者」はどのような道をたどるのか、そこまで詩篇は語ります。不安にさせる言葉を用いながら、主の祝福は、「幸いなもの」とされるための二択を迫っているものなのでしょうか。

3.従えない痛みをご存知であればこそ、「幸いな人たちよ」と主は招く

具体的な人を挙げることなく、終始喩えを用いて、幸いな人とそうではない人が歌われています。自らの存在や周囲の人たちを思い巡らし、この詩篇を味わうことこそ信仰の急所です。二択の狭間のなかに置かれ、それでも神の祝福を求める人々を、イエス・キリストは招かれました。大勢の弟子たちを、マタイ5章では山の上に、ルカ6章では平地に招いて、まずすべてに先立って「アシュレー!あなたがたは幸いである!」とイエス・キリストは宣言されます。神の祝福に招かれた人たちは、「主に従うこと」を望みながらも、現実に疲れ、悩み、戸惑い、悲しみがあることを知っている人たちでした。それゆえ「幸いな人たちだ」と宣言したうえで、貧しい人、涙を流す人、義を求める人、飢えている人が、キリストの憐れみによって満たされることを約束されるのです。


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