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3月13日祈祷会:列王記上第11章1-25節

 王としての務めを果たすなかで、ソロモンの心が神への信仰よりも、豊かさに少しずつ傾くようになっていく次第をみてきました。さらに第10章では、シェバの女王が来訪し、ソロモンの知恵に感服して豪勢な贈り物を献上します。イスラエルはこれまでにない繁栄を遂げ、王の富は益々増えていきます。しかし礼拝する場所である神殿を建て上げた後に、信仰が色あせる道をたどっていくソロモンです。イスラエルと王座の豊かさは増し加えられますがソロモンは堕落していきます。本章では、ソロモンの老境と堕落が記されています。

1.老境のソロモン、女性と神々に誘惑される

まずソロモンが多くの女性を囲うようになっていく様子が記されていました。これは主なる神がかつて禁じた、異教の神々を拝む女性との結婚にあたります。「ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった(2)13年かけて完成させた王宮を、欲望を満たすために用いるソロモン。かつての主の御前に謙遜に知恵を祈り願った姿から、すっかり変わり果ててしまいました。与えられた賜物を、神の国のためではなく自分のために用います。欲望が、信仰も知識も貶めていきます。

「ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった(4)父ダビデには、若き日には預言者サムエルがおり、老いてなお、助言を与える預言者ナタン、祭司ツァドクがいました。しかし栄華と知恵を極めた王ソロモンには、人身を極め尽くしたがゆえに、諌める者がもう誰もいません。なんと皮肉なことでしょうか。

ソロモンの堕落は、多くの女性達を愛しただけではなく、彼女たちが拝んでいた異教の偶像を拝むまでに至りました。「自分の神、主と一つではなかった」という表現から、ソロモンは主なる神への信仰を保ちながらも、「他の神々」への崇敬と混ぜ合わせる曖昧な信仰を持つようになったことが伺えます。<アシュトレト(シドン)>メソポタミアまで起源を遡る豊穣、多産の女神です。カナンの地に先住していた農耕民族には絶大な人気がありました。豊作と子孫繁栄を祈願します。<ミルコム、あるいはモレク(アンモン)>豊作、生活の利益をもたらす牛の頭をした男性神です。信仰の証として、家族の第一子を生贄として要求しました。「高台を築いた、生け贄をささげた」と記されているので、ソロモンもそれをしたと考えられます。<ケモシュ(モアブ)>戦争や征服をもたらす、魚の姿にかたどられる神です。人間の血の犠牲を強要します。偶像の実情を客観的に捉えれば、理解に苦しむ信仰と崇敬の仕方です。しかし現代にも通じる偶像崇拝への誘惑の恐ろしさを知らされます。

偶像崇拝は造られた像、創造の産物を拝みます。いかに見目麗しく、神々しく刻んだとしても、偶像は人が創り出したものです。有限である人間のなかに生じた、さらに矮小化した有限な存在です。有限は無限を創り出すことはできません。神のご存在とは、永遠で無限であるからこそ、初めにおられるお方であり、また終わりまで神であられるお方です。

また、偶像崇拝は欲望の投影です。自分が気に入った神を拝むことによって喜びますが、自分の欲求を投影した神を拝むことは、結局自己存在の甘やかしです。聖なる衣を着せようとする、その内実は結局、欲望です。欲求が満たされなければ、その神は捨てられます。戦神への信仰は、戦争に負ければ、国民と共に滅びていきました。そこから、自分のあり方を吟味して、真理を司る存在に向き直る悔い改めは生まれません。

そして礼拝対象が複数あり得る偶像は、神の唯一性を否定し、「救いの選び」という真理を隠します。ソロモンや妻たちは「あの神も良い、この神も良い」と気ままに選んで礼拝したのでしょう。神々を拝んでいるように見えますが、じつは選んでいる自己に主体性をおいています。そこからは、信仰を与えてくださった神の選びの尊さを知ることはできません。

2.唯一の神だからこそ、報いも慰めに至る

堕落したソロモンの姿に、主なる神様はついに敵を起こされます。ソロモンが神殿を建て上げた後に、ギブオンで現れた主は「他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る(王上9:6-7)と言われました。この予告により、ソロモンに反旗を翻すハダドもレゾンも、主が起こされます(14,23)。「背きには必ず報いられるのが、わたしたちの主なる神」という真実に、畏れを感じます。偶像崇拝のように、複数の神々のなかから気に入った神を選んで拝む信仰ならば、この厳しさを突きつけられることはないのでしょう。

しかし複数の偶像を崇拝する信仰ではなく、唯一の神を信じるからこそ、ハダドやレゾンをも主が起こされたとする真実に、平安に至る緒を見出したいと思います。エドムの王子であったハダドの半生が記されていました(14-23)。ダビデやヨアブが関わっていますが、エジプトに下ったあとはファラオの寵愛を受けます。一見、ソロモンの背信とハダドの人生は関係のないことのように思われます。しかし神のみ心なく、起こされることは何一つないのです。ソロモンへの報いのために、エドムの王子がエジプトに落ち延び、寵愛を受けて力をつけて戻ってくる道を、主が備えておられたという事実。つまり、ご支配されておられるのは同じ唯一の主なる神なのです。その御方の御心があって、はじめて戒めと報いの出来事がはじまっていきます。背信への報いが与えられることは、恐ろしいことです。しかし立ち返りを求めておられるのも同じお方であるという真実は、罪赦され交わりを回復した後、平安と慰めに至ります。

3.裏切られてもなお、愛を貫かれる主のお姿

主はこの報いの前に二度、ソロモンに現れますが悔い改めません(9)。三度、主を裏切ったことになりなります。イスラエルは、これから手渡され、引き裂かれていきます。ただし救済の道も主は遺されます。「わが僕ダビデのゆえに」ダビデとの契約が息子の背信を子孫の苦しみを執り成し、バビロンでの悔い改めへと導くことになります。

弟子たちはゲッセマネの夜、イエス様を裏切って、逃げ去りました。彼らはイスラエルを力によってローマから解放するメシアを思い描いていました。しかしそれは自己の欲望の投影でした。ペトロも三度、否みます。救い主はまったく裏切られたのです。ここに神ご自身が、もっとも大切な第一子を罪人の立ち返りのためにささげたもう、至高の自己啓示を見出します。

偶像は永遠と無限への思いを人から奪い、魂を虚無に引き込みます。しかし聖書は、聖なるお方が、罪深いものを愛しぬくために、もっとも愛するものを犠牲にささげるキリストの真実を啓示します。この新しい契約が、永遠の執り成しとなってくださって、真の神に立ち返るときの、唯一の道を備えてくださいました。救い主イエス・キリストのお姿にまさる神の啓示はありません。

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