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3月10日説教音声とポイント(郡上八幡伝道所)

「食卓の主は招く」

聖書 ルカによる福音書第1415-24 

伝道師 三輪恵愛

1.「なんと幸いなことでしょう」言わずにおれなかった一人の客

「灰の水曜日(今年は36)」を迎え、受難節:レントが始まりました。厳格に守るならば、食肉も控えるこの季節。しかしイエス様は見せかけの断食よりも、心を砕いて神に向き直ることを大切に説かれました。与えられた恵みを、別け隔てなく誰とでも共に分かち合う姿が、福音書のあちこちに記されています。今日の御言葉も、ファリサイ派の議員の家で開かれた宴会で語られたものでした。途中まで聞いていた一人の客が「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言い出します。この人には、なにか大切なことが伝わったのでしょう。

2.主人からの招待に理由をつけて断る客と、僕に招かれる人たちが示すもの

 「畑を買ったので見に行きます」「牛を買ったので調べにいきます」「新婚なので」、すでに招待を受け取っていたにも関わらず、言い訳をしながら自分の生活は自分で建てあげていこうとする人たち。恵みを受け取らず、主人との関わりを拒みます。一方で、招かれている人たちは貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人。独りでは生活を建てることが出来ない人たちが、恵みを受け取ることとなりました。僕の働きに注目すれば、わたしたちは主の恵みを受け取るべき人に招きの声をかけ、席に就かせていくことを奨められています。

3.盛大な宴会の中心にあるもの。食卓の主は、大切なものを損ねてまで招く

しかしイエス様の譬え話の中心は、僕の働きにあるのでしょうか。もう一度、聞きたい一人の客の嬉しい叫び。「神の国で食事をする人はなんと幸いなことでしょう」祝福の源は、この主人が招く多くの人を、もてなすために供される盛大な食事です。「もう用意ができましたから」この主人は準備を整えて、大切なものを食事に供するのです。神の国の食事とは、主人がもっとも大切なものを振る舞って招いておられる宴会。大切なものを損なったとしても、主人との親しい交わりがそこで結ばれるのであれば。愛する独り子を失ったとしても、復活の命に養われ、主との交わりを喜ぶ宴会が開かれるのならば。この主人がすっかり食事の準備してくださるがゆえに、僕たちも安んじて、招き続けることが出来るのです。

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