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3月3日説教音声とポイント

1.主の栄光に向き直り、照らされることを奨める使徒パウロ

 

「春分の日の後の満月の直後の日曜日」毎年変わるイースターの日からさかのぼり、イエス・キリストの十字架への道行きを覚える受難節(レント)も定められます。今年は来週の主日から始まるレントに先立ち、今日は「主の変貌の日」を覚える主日。栄光に輝くお姿を現し、エルサレムへ向かうイエス・キリスト。さて今日の御言葉は栄光に照らされる側について語られています。「鏡のように映し出しながら栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます(18)しかし主の栄光を映し出す歩みなど・・・、わたしたちに出来るのでしょうか。

2.「覆い」を被せて栄光に照らされるべきところを隠してしまう・・・

 使徒パウロはコリントの人たちへ、同じく山上で照らされ輝いたモーセを引き合いに出します。それは連想のためだけではなく、主の栄光に向き直り、覆いをキリストに取り除いてくださること(15,16)を伝えるためでした。キリストを救い主として信じ、礼拝する歩みをはじめたコリントの人たちです。ところが信仰の歩みのなかで、主の栄光に照らされるべきところに覆いを被せ、律法を守ることで自らの正しさを確かめ、また他者の信仰のあり方を裁き、ときには自らの信仰すらも裁く歩みに戻る人もいたのです。

3.覆いを被せ、隠そうとするところに主の栄光は輝きを照らす

 「覆いとは、キリストにおいて取り除かれ」「主のほうに向き直れば、覆いは取り去られます」と確信に満ちあふれて語ります。パウロもかつて裁きの人でした。キリストによって赦された人、キリストを信じるより生きるすべがない人、人を裁くのではなく、赦す生き方をキリストによって示された人、このような生き方を裁いていたパウロの前に、キリストはお姿を示します(使徒言行録第8)自分の正しさに頼る弱さを栄光に照らされ、主に向き直り、覆いを取り除かれ、パウロも主の栄光を映し出す人とされたのです。十字架に挙げられた主であればこそ、被された覆いを取り除き、主と同じ姿へと造りかえてくださいます。主の栄光に照らされつつ、十字架への道行きを覚える受難節が始まります。

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