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2019年3月24日主日礼拝説教


「迫間を歩みて」


聖書 コリントの信徒への手紙一第10章1-13節


伝道師 三輪恵愛


1.「わたしたちを戒める前例」旧約から説き直し、信仰を励ますパウロの説教


旧約聖書の出エジプト記から申命記に書かれてある、イスラエルの民の脱出の旅路。ここで起きたことは、後の教会が「前例、戒め、警告」として読まれ、信仰の歩みを助けるものとして語られました。パウロもまずそのように語ります。信仰の先祖たちが旅路のなかで、失敗を重ねながらも歩み続けました。7節「偶像を礼拝すること」8節「みだらな行い」9節「キリストを試す」10節「不平をもらす」。パウロの説教を聞くコリントの人たちは、自身の歩みを顧みながら、悔い改め「信仰を歩み通すために、試練に負けまいぞ!」と奮起したかもしれません。


2.試練の時、警告は「福音」としてではなく「裁き」として聞こえないか?


「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず(13)励みとなる聖句です。しかし試練は心を苛み、揺さぶり、不安に陥れます。実際に試練に置かれたとき、果たして聖書のみ言葉を、冷静に前例、戒め、警告として受け止めることができるでしょうか。むしろ無責任な裁きとして響き、「この試練の理由は、わたしの不信仰にあると言うのですか?」苦しむ魂からつぶやきの声が、落胆の声が、口からこぼれるのではないでしょうか。


3.「逃れる道をも備えて」試練と祝福の迫間にある道をキリストと共に歩む


パウロは決して高段高所から裁きの言葉を語っているのではないのです。「時の終わりに直面しているわたしたち(11)病をかかえ、石を投げられ、牢獄に入れられ、旅の途中で舟が難破する、試練続きでありながら福音を語ったパウロ。常に人の命は「終わりの時に直面している」ことを痛感しながら、自らも含めて信仰の現実を語ります。その上で信仰の先祖たちもキリストと共にあり、囚われの身から「逃れの道」を導かれ、神の栄光に向かって旅路を歩み通したと説きます。キリストが共にいたと思えないような試練のときも、受難の道を歩まれたあの方があなたと共にいたのです。だからこそ今があります。虚しい囚われの身から救い出したキリストは、試練と祝福の迫間にある道を歩んでくださいます。神の栄光への脱出です。キリストと共に逃れるならば、なにを憚ることがありましょう。


【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

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