2019年4月7日主日礼拝説教
「清香は福音にのせて」
聖書 マルコによる福音書第14章3-11節
伝道師 三輪恵愛
1.イエス様が世界中で 「記念となる」と宣言されたナルドの香油注ぎ
事績、由来等を伝える記念碑や記念像。これを目にするとき、人は過去を思い起こします。「記念(思い起こす)」イエス様はある女性が香油を注いだことを聖書に遺されました。福音が語られるところでは、この女性がしたことも共に語り伝えられることとなったのです。今日もこうして聖書から、その日の出来事が思い起こされることとなりました。しかしこの香油注ぎは人々から「無駄遣い」と厳しくとがめられ、ユダはこれを見て裏切りに走っていきます。それでもなお、この女性の香油注ぎは「世界中で記念とされる」ほどのことだとイエス様は語ります。
2.重い皮膚病のシモンと共に食事をされる主。共に生きてくださる神の愛
「重い皮膚病の人シモン」の家で食事を一緒にされるイエス様。先進的な医療に囲まれていると想像もつきませんが、当時の社会において病がもたらす恐怖は、死の始まりを予感させる深刻さを伴ったものでした。皮膚に出るほどの病であれば、もはや手の施しようがなく、家族すら悲しみながら距離を置くしか手立てがなかったのです。病に苦しむだけでなく、感染を疑われ、隔離され、貧しさの際に追いやられていたシモン。イエス様はその人と共に命の糧を分かち合います。
3.「このお方こそ、救い主キリストです」福音は告白の良い香りを伝える
苦しみのシモンと共に食事をすることで、隔てを超える愛を示すイエス・キリスト。これこそ救いの根本に置かれるべきものです。「施しをすればよかったではないか」と人々は憤慨し、ユダは無駄遣いに失望して出ていきます。確かにお金をかければ良いこともできるのでしょう。しかしその前にすべきことは、救う人の苦しみに寄り添い、愛を携えることです。それを示された「イエスこそ唯一のキリスト(油注がれた人)」であると、女性は油を注いで信仰を告白しました。「救い主を崇めるよりも、実践的行動が先ではないのか」との声が聞こえます。しかし苦しみの隔てを超えてくださった主を礼拝してこそ、真実の愛の業にも出かけていくことができるのです。わたしたちはまず「キリストはイエスです」と告白します。そして「救いの業にキリストの愛が一緒にいる」福音が香っていきます
【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】
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