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2019年4月14日主日礼拝説教

 

「眼差しの先には」

聖書 ルカによる福音書第22章54-65節

伝道師 三輪恵愛

1.エルサレムでの最期の一週間、人の罪は十字架に負わせられていく

 受難週の初めである「棕櫚の主日」を迎えました。「ホサナ、ホサナ(今、救ってください)」と大きな期待を込めて、救い主としてイエス様を迎える住民たち。しかし彼らの大きな喜びに恐れをなしたユダヤ教の権力者たちは、ローマ帝国と手を結び、たった数日のうちにイエス様を十字架に架けていきます。目隠しをして殴り、侮辱の言葉を浴びせる人たち。容赦のない苦しみがイエス様に加えられる様子から、人の罪が無抵抗の救い主に負わせられていく恐ろしさを示されます。

2.ペトロに向けられる、イエス・キリストとの関わりを吟味する声

裁きが行われる大祭司の中庭まで、一人付き従ったペトロ。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております(ルカ22:33-34)との熱烈な告白を口にしたのは、ほんの数時間まえのことでした。そのペトロに意外なところから声がかかります。「この人も一緒にいました」①「お前もあの連中の仲間だ」②「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」③これらペトロの信仰を質す声に、①イエス様との人格的交わり②信仰の仲間たちとの関わり③信仰を持って歩むと決めた原点、ペトロは信仰に関わるすべてを否定してしまいます。

3.御言葉を思い出し再び主を見つめる先から、すでに向けられていたまなざし

ところがこの三度の否定は、すでにイエス様によって予告されていたことでした。ペトロの勇ましい告白をお聞きになりながらも、イエス様はペトロ自身の姿を知らせるように「三度否定する」ことを予告します。「わたしの信仰」を貫こうとするペトロに「それは弱さを伴うものである」ことを知らせるように。夜も更けて朝が迫る空に突き刺さるような鶏の声。ペトロがイエス様の御言葉を思い出し、再びそのお方を見つめたとき、すでに彼をみつめるまなざしが向けられていました。神のまなざしは、すべてを見ておられます。目隠しをして「言い当ててみろ(64)と嘯く姿も見ておられるのです。しかしそれは決して裁くためのまなざしではありません。御言葉を思い出し、再び主にまなざしを向けた時、弱さも含めて愛しておられるまなざしが、わたしどものすべてを見つめ続けてくださるのです

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

 

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