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4月24日祈祷会:列王記上第15章

 

列王記の主題は、南北それぞれの王国を治める王たちの信仰です。書物の題名である「列王記」は、ヘブライ語の書物名であるמְלָכִים/メラーキーム(メレク:王の複数形「王たち」)から訳されました。この書物の名前が語るとおり、王たちの信仰の在り方を記すことで、神のお姿を伝えようとするものです。そのため「王たちの通信簿」と呼ぶ人もいます。ダビデの晩年から始まる列王記ですが、南北の分裂まではいわば「序章」でした。この第15章に至り、列王記全体の特徴である南北の諸王の信仰を伝える「本篇」に入ることになります。

1.ヤロブアムの家は絶えるがダビデの血筋は残る

 南北の分裂のきっかけは、北イスラエルの王として建てられたヤロブアムの反乱によります。既に見てきたように、彼は民の信仰を私物化したことで、厳しい裁きを受けることとなりました。裁きの一つとして、前回は病に罹った王子の命を失いました。さらに預言者が伝える裁きはヤロブアム王家全体に及びます。「わたしはヤロブアムの家に残る者をぬぐい去る(14:10)」と預言者アヒヤは予告していました。バシャの謀反によってヤロブアム家は滅び、予告の通りとなります。「彼は王となるとヤロブアムの家の者をすべて撃ち、ヤロブアムに属する息のある者を一人の残さず、滅ぼした(29節)」ヤロブアムの子ナダブを滅ぼしたバシャが北イスラエル王国の新王となり、ヤロブアムの血筋は続きません。

分裂した南北王朝の違いの一つは、王の血統です。南ユダ王国にはダビデの血統が続きますが、北イスラエル王国は謀反による家の興亡が繰り返され、血統が続きません。列王記によれば、エルサレムを保ち、ダビデの血筋を引いているのは南ユダ王国であるという明白な主張が示されています。福音書の一番初めにも、ダビデの血筋が途絶えなかったことを証しする系図が語られます。両王国は主の目に反する歩みも繰り返すのですが、ダビデの血筋は守られていきます。

2.アビヤムの背信あれども、ダビデのゆえに

 ソロモンの子レハブアムから王位を受け継いだアビヤムの治世にも、ダビデの血筋が守られている証を確かめることができます。南ユダ王国の王となったアビヤムは「通信簿」という点では、落第の王だったようです。彼は父王レハブアムの偶像崇拝を革めることなく、主に背く王でした。「父がさきに犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには自分の神、主と一つではなかった(3節)」これはアビヤムの責任ばかりではなく、その母マアカが偶像崇拝を行う人であったことも記されています(13節)。「アビシャロム」の娘とありますが、ダビデの息子で、乱を起こして落命したアブサロム(サム下18章)と同一人物だと主張する説があります。そうであればダビデは祖父にあたります。代を重ねて、子孫がダビデの信仰から離れてしまいます。

 しかし主は、アビヤムの背信にも関わらず、ダビデ王家の血筋は守られます。「彼の神、主は、ただダビデのゆえにエルサレムにともし火をともし、跡を継ぐ息子を立てて、エルサレムを存続させられた(4節)」。王は背いても、ダビデのゆえに血統とエルサレムを守られる主のお姿から、かつて主がダビデと結ばれた契約を思い出します。「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる(サム下7:16)」

 聖書を読み解くにあたり「契約」は、その概念をぜひとも心に留めておきたい言葉です。主は、ダビデの信仰のゆえに結ばれた契約を守られます。これは「恵みの契約(一方的な恩寵、絶対に破棄されない)」とも言われ、主なる神がひとたび「恵みを与える」と約束されたからには、主ご自身がその契約を違えることは絶対にないというものです。

しかしながら、この主の恵みを受け取らず、無視するのであれば、祝福をうけることはできません。アビヤムという王個人は、母マアカの悪影響もあり、父レハブアムの過ちを正すことができませんでした。わずか三年の治世で、世を去ります。

3.ダビデ契約の恩寵はエルサレムに実を結ぶ

 アビヤムの次にアサが王となります。アビヤムとアサの二人は、どちらもマアカを母とする兄弟であったと思われます。アビヤムの治世がわずか三年であったことから、早逝したことでアサが王位を継いだことが伺えます。彼はレハブアム以来、長らく背きの象徴であったあらゆる偶像を取り除き、しかも母マアカを大后から退けます。「父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い(11節)」ました。

 分裂した南北王朝は互いに相争います。ヤロブアム家を滅ぼしたバシャと、アサの間には「生涯を通じて戦いが絶えなかった(16節)」。アサはユダを守るために合理的に振る舞います。南下して攻めてくるバシャに対抗するために、蓄えてあった銀と金をアラムの王に贈り、北イスラエル王国を牽制します。バシャの脅威が去った後は、前線基地として建てられたラマの建築資材を鹵獲し、自国の防衛に用いる強かさも見せます。アサは信仰を保ちながら、必要な場合は異国と手を組み、敵の遺物も活用する合理的な考えを持つ王でした。先王のアビヤムを大きく上回る41年間、南ユダ王国を治めました。父祖ダビデの歩みに倣ったことが、長期の政権安泰につながったと言えるでしょう。

 ところでアサ王は、列王記の後に置かれている歴代誌では別の評価もされています。歴代誌はイスラエル全体の歴史を編纂したもので、サムエル記、列王記が記録するものと重複している部分がかなりあります。歴代誌でのアサ王の評価は、北イスラエル王国との戦いでアラムに助けを求めたこと、晩年、足の病気に罹った時に医者に頼ったことが、主への信頼が薄かったということで批判されています。列王記はその点、アサ個人の信仰よりも、ユダ王国を治めるダビデの血を引く王としての信仰的振る舞いに注目していると言えます。

列王記は、契約を堅く守ってくださり、歴史を貫いて恩寵を与えようとされる主のお姿に視点を集中します。ダビデ契約がエルサレムに実を結ぶ時を、預言者エレミヤは神が結ばれたダビデとの契約をこのように語ります。「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。・・・わたしが、わが僕ダビデと結んだ契約が・・・破棄されることもない(エレ33:14-17)」

 ダビデの信仰には過ちがあったことも聖書は語ります。「ヘト人ウリヤの一件(5節)」、すなわちバト・シェバとの姦淫です。しかし彼は罪を悔い改め立ち返りました。「神の赦し」という最大の恩寵をも、生涯全体を通して受け取ったのです。この血筋につらなるお方に「主は我が救い:イェシュア」の名を持つ救い主が現れました。深淵なる契約の奥義が結実します。主が守られたエルサレムに十字架が立った時、神の恵みが世に満ちたのです。

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