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2019年4月21日主日礼拝説教

「暁に立ち上がる」

聖書 ルカによる福音書第23章55-24章12節

伝道師 三輪恵愛

1.献身的に働く女性たちは、イエス様のご不在に「途方に暮れる」

 教会の祝祭のなかで最も古いイースター:復活祭。キリスト教の信仰は復活のイエス・キリストを信じることからはじまったと言えます。十字架への苦しみと死に打ち勝ち、復活してくださったお姿は、私達に生きる希望を与えます。その復活の直前の朝の出来事。故郷のガリラヤからイエス様に付き従ってきた女性たちが粛々と葬りの備えを進めていました。素晴らしい教えを説き、愛を実践したイエス様を、心をこめて葬ります。ところが改めてお墓に来るとイエス様がいない!昔を偲んで悲しむことすらままならず、女性たちは途方に暮れてしまいます。

2.復活を信じない人たちのなかで、確かめるために墓に走るペトロ

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ(6節)輝く二人が告げる言葉にイエス様が復活を予め語っておられたことを思い出す女性たち。しかし半信半疑で伝える言葉は「たわ言」に聞こえ、使徒たち(男性複数形)の心には伝わりません。誰一人、復活を信じません。なんとイースターの朝、キリストの信仰はこの「復活のイエス・キリストを信じない」人々のなかに生まれたのです。そこがはじまりだったのです。ここでペトロが立ち上がり、墓に走っていきます。やはり墓の中はからっぽ。不在を確かめて驚きながら帰ってくるのみです。

3.「イエス・キリストはそこにはおられない」会いにきてくださるために・・・

イエス・キリストの復活を信じる始まりは「驚き、途方に暮れる、たわ言は信じない」そこからだったのです。しかしペトロが「主に会いたい」と立ち上がったところに、キリストを信じる奇跡の芽が出始めていました。教会は復活のイエス様を解き明かすために二千年も苦労してきました。仮死状態?集団幻覚?歴史的事実?崇高な理念への傾倒?しかしイエス・キリストを、知り得る対象として定まったところに捜す限り「死者のなかにはおられない」。なぜならばこの方は物や対象ではない、主イエス(3節)なのです。なぜ墓にいなかったのか。絶望の縁から死の深淵を覗き込み、途方に暮れて生きているわたしたちを愛し、会って、信じさせてくださるためです。イースター、絶望の死と復活の希望をイエス様と共に祝う日です。

【本文は説教要点の抜粋です。全文は音声をお聞きください】

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